テキスト1978
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シャクヤクベニツル今日ではシャクヤクも水揚のよい杯種の大輪花となっており、五月の花の中でも菫胞で日持ちのよい材料ということになっている。シャクヤクは一種挿しが好ましく、これに他の材料をつけるとなると中々むずかしい。濫い緑の葉がたっぷりしてあしらいの花の必要がなく、写真の様に花葉のないツルものなどが花を引き立てることになり、花形を大きくひろやかに見せることにもなる。その意味で考えさせられる花材。五月に入ってむし薯いこのごろになると花の日もちが悪くなって、三日程度でいたむという花が多くなってきた。しおれた花をそのままにしてあるのは実に見苦しいもので、分屈少くても新鮮な花を活けておくということが大切である。活けてそのままという考え方ではよくないし、鉗日手入れする様な気持で、悪い花葉を一本すつとりさって、いつも清楚である様にしておく、ということが大切である。分量が少くなるごとに花形も変ってくるし、このエ夫がいけばなの勉強になる。活けかえのたびに足もとの水切り、水のとりかえなど、花瓶としき板を美しくふく、という手入れは耕古のためにもこの上もない勉強になる。常に清新な感じで見られる様にするということが必要である。一日でも長くもたせるということは大切なことであるが、切り花は長くても数日でしおれるものであり、それを新しい花にとり咎えるところに、いけばなの特徴があり、新鮮な花にとりかえてほっとする気持は誰しも味わう特殊な境地であろう。時日のたった花は悪くなくともとり替える、という考え方こそ、真実のいけばなを愛する境地である。うるおいのある花、これが生命といえる。廂店の装飾はともかく、家庭にホンコンフラワーや造花を飾ろうとする考え方は、花の新鮮さ、うるおいに心をとめない人達のよくない趣味であるといえる。逆説の様だが「しおれるが故に真実の花」ということも出来るのである。@2R

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