テキスト1978
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カキツバタアザR中央に手のある篭、この砲には手の左右に花を入れるのが普通の用い方である。かきつばたと紅あざみの二種を活けた。季節向きの自然調の花である。中筒を二個、左右にならべて花を挿しこの二つが一株に見える様に形をととのえる。手に花葉がふれない様に活ける。伝統生花には一定の「型」があると思われるけれど、この約束のきびしい伝統のいけばなでさえ、常に、一作ごとにその花材のもつ自然の形をどう活かすかという考え方がいつも必ずつきまとっている。草木を定型にはめこむのでは決してない。梢本型というものがある以上は、定型に作るのではないかと考えやすいのだが,これは一瓶の花全体の問題であって、一瓶の仕花にはそれぞれの、例えば真副胴留控の五つの部分があり、その部分をどう作り上げるかについては作者の自由な考え方が常に必要ということになる。もし、梅、桜、松、その他の自然の風姿をもつ材料、またコデマリ、ヤマブキ、ユキャナギの様に同じ様な形をもつ、と考えられるものでも‘―つの小枝、一本の葉に至るまで必ずそれぞれ迩った自然の形があり、その各部分をどう扱うかについては作者の考えるままに(エ夫と自由)が、必要であって、生花の定型というものは一般に考える様な「きまり型」という性格とは余程ちがうのである。常に作者の考え方が必要であり自由だというのは当然のことである。曹う人達はかなり永い年間、桔古をした人であっても、その作者の自分みずからが、きまり型にはめこもうとする、それがために苦心するという例が多い。花材をどう活かして、自分の考えをどう作品にあらわそうかと考える人が少く、結局は長時間をかけて技巧的にはこまごまと手を入れることがあっても、それは「型」を作ることに汲々としているのであって、自然草木の個性を活かして使う、という考え方に立つものではない。そんな考え方であるから長時間をかけ、作者の心も材料もやつれはててしまうことになる。ついには新鮮な花のうるおいも失われ、疲れはてた生花になり呆てることになる。手早い運び方で、次々と枝葉花を挿し入れ、全体をしっかり見つめて小細工なく、早く早く枝を重ねて行き、後になって「なおし」のきかない「水ぎわ」だけは美しい足元に揃えておくこと。その他の上部の大部分は後になって修正する時点で精密に技巧を加える。そんな考え方で進むと時間も早く仕上げることが出来、しかも溌渕とした花が出来上ることになる。10 R

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