テキスト1978
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⑧ ⑬彼岸桜とフリージャの二秤を活ける。花器はグレーの梨淡で色わけした力形の鉢。四月のはじめ、ほとんど沿叫の桜に紫色のフリージャという、少し変わった謁子の配合をする。普通の配合では桜に栢、桜にカキッバタというところだが、紫のフリーヂャというところが変っていると思う。桜の淡紅と涙い紫色の花はほとんど同色に近いフリージャ、緑の葉が少しあるが、はっきりと対照的でない色調の中に面白い色の感党があると111心うのでひがんざくらフリージ4, ある。この場合、はっきりとした白い花器黒い花器が澗和がよいと111心う。この盛花は普通の調子の花型とは迩うことに気づかれるであろう。桜を背高く挿し白然風にのどかな感じに入れ、足もとの樹枝の線もあらわに見せている。フリーヂャを右方へ脊せているのも変った挿し方である。色と形とに変った調子を出そうと考えたのだが、桜に対する副材の色の調子、花形とも特殊な感じを出すことに注意した作品といえる。R卯のはなの季節には少し早いけれど、私の古い写生画の中にここにあるような瓶花図がみつかったので掲載することにした。庭に咲いたうのはなと野菊を切りとって、瓶花に活け写生したのだが、これは三十年も以前のひと昔の画である。そのころ中京区の妹屋町御池に家があり、通りをへだてて前は柊家、隣りは俵屋という京都での代表的な大きい旅館がならんでいる、そんな町筋だった。七間まぐちに「桑原冨春軒」と薔いた門標がかかっていたが、戦争の終末時に強制疎開で三日間でとり壊され、今は御池通となっている。その裏庭に咲いていた「うのはな」、毎年、土蔵の前に咲く里桜が終ると少し間をおいて裂庭の卯のはなの季節を迎えることになる。この家としては最後の初夏のころ、庭の卯のはなを切って活け、写生したのがこの図である。私にとっては思い出の深い絵だが、古さびた卯のはなの枝が形よく、また近くに咲いていた捨て育ちの野菊をそえて活けた瓶花だが、意外に丁寧に描いてある絵をみながら、胸奥にあるその頃のあわただしい日々を思い起こすのである。(専)R うのはな野菊8

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