テキスト1978
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自由奔放な花形が中々面白い。右勝手の副と留がのびのびとして、普通の生花としては両張(りょうはり)の感じがあるのだが、梅の生花としては個性的でよいと思っ。右へ出た留の枝の下方ななめにさし出した細い枝、不必要な枝の様に思えるのだが、この分枝が変わった調子を作りあげている。梅の生花というのは、この様に自然の個性のあらわれているのがいちばんよい。真の形はことによい。控も軽く適度である。左の上へのびている副の枝に問題があるのだが、この枝が少々みじかいのがよいと思っ。花器の竹筒はすす竹の寸筒である。足もとが美しく一本に入っているのは技術的に俊れていると思う。みずぎわの小さい枝が形もよく、よくきいている。、、桑原素子作に5作を掲載する予定である。この月号のテキストに「梅の生花」を六瓶、掲載することにした。この流儀の生花を研究する集りである「梓の会」ー|あずさ、の会員が1月6日に活けた作品をならべたのだが、2月号に6作、3月号梅は花木の中でも強い個性をもった材料であり、自然のもつ風趣と形の面白さは瓶花盛花としても好ましく、生花に活けても中々興味深い材料といえる。少し古木の入りまじった梅の、自然のままの奔放な枝振りのものを選んで、生花の花形の中に自然の風姿をみせる様な花形は、趣を見ることが出央、作者の工夫もあらわれて一層、典味深い。先代の在世のころ、ちょうど二月ごろだったと思うのだが、滋賀県仰木村の桑原門人の人達に頓まれて「梅の研究会」に出席したことがあった。そのころは江若線の鉄適もなく大津から太湖汽船という大型の船に乗って堅田沖に停船、そこから伝馬船の様な和船に乗りかえて堅田港につき、それから約4キロほどの山路の登り坂を比叡山の中脳まで登ると、そこが仰木村である。が院の座敷には桑原社中の男達ばかり冗十人ほどが集って中々賑かで、とにかく材料をというのでそのうちの七、八名が、附近の庭から株もと10センチ程度の梅を二、三本倒して持ってきた。上部の枝のひろがりのあるものを、切って持ち込んできたのだがその梅を大勢の出席者が自分の思う枝振りを選んで切りわけ、小さくは竹筒に入れるもの、大きくは砂鉢に調子のよい程度に裁断して、株もとの残物と思われるものさえも、小枝を添えて風雅な生花が数々活け上げられた。古い思い出だが興味深いことだったと心に残っている。梅は自然の中に雅趣を見つけだすこんな活け方が理想的だが、とにかく大魚を料理する様な仰木の研究会が私の心に深く残っている。「梅の生花」らしい雅2 梅の花か生虹

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