テキスト1978
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若い男達は栄養や環境のせいもあって昔の日本人とくらべると体のプロポーションは見違えるほど変ったのに仔細に見ると頻つきだけは、江戸時代とちっとも変わっていない。明治、大正時代頭上に帽子をいただき路(ひげ)をはやして写真屋の風景画のスクリーンの前で正装していた彼等の祖父さま連中とは別人種のように変ったつもりでいるなら大問迎いである。その祖父様達の時代には帽子は正装にはつきものであった。私も父から紺子をかぶる習慣をうけつぎ今に至っている。帽子にも桑原隆吉色々と種類がある。第一級の礼装用のシルクハット。これは戦前でも余程の時、宮中にでも行く時か結婚式の新郎がかぶってるのをたまに見るぐらいのもので、次の山高間になると、私の子供時分はモーニングコートにはつきものだったが、たまに御洒落な人は、普通の背広に山高帽、靴にはス。ハッツをつけてたように記憶する。それに中折帽、いわゆるソフトハット(ソフト)、この中には夏用の。ハナマ帽、少し変形のカンカン帽などもその一族だろうと思う。鳥打帽(ハンティング)やベレーは英語でいうキャッ。フの部類に入る。正装用ではないから戦前の丁稚っち)は前垂掛に縞の筒袖、頭にハンティングといった外出姿。大店の大番頭以上でないとソフトはかぶれなかったようだ。テレビ映画の「アンタッチャブル」を見てもチンビラ連中はハンティング。大株はソフトハット。アル・カポネなんかは見るからに高価そうなのをかぷっている。ソフトも色々とスタイルはあるが私のかぶっているのはごく普通のソフトにチロリアンハット。それにボーク。ハイというクラウンの低いもの。時々柄物のリボンをつけたり、鳥の羽をリボンにはさんだりしてかぷっているが、近頃は帽子がはやらないせいで、京都市内ではソフトの買いかえが出来なくて困っている。私は流行にあまりとらわれない方(でなので平気で十年一日の如くソフトをかぷって歩いてるが、何か改まった場合、ドレスアップしてソフトをかぶって出かけた帰りに、スーパーマーケットにでも入ろうものなら買物のオバサン達の注視を浴びること必定である。それほどソフトをかぶってる人は少ない。一事が万事、自分の服装もほとんど流行に関係なく昔からの好みのものしか買いも誂えもしない。近頃はやりの広いネクタイも自分では一本も買ったことがなく、つい最近、普通の巾のネクタイが久しぶりに見つかり、五、六年ぶりに、本当に久しぶりに新しいネクタイをしめた』ような頑迷さが私にはある。流行の品物だけしか店においてないというのは何も日本だけのことではなく、。ハリやローマも同様だ。゜ハリの服飾品屋でたまに、買いたいなと思つものがあったりすると、手にとって見れば、大ていイギリス物だ。私の好むものはフランスやイタリーの粋なものよりィギリス風な固い悪くいえば間のぬけた、野暮くさいが男物らしい感じのものをえらぶ。洋服の柄にしても昔からあり、これからもなくなりそうもないものが良く、その時、その時の流行をとりいれた目先きの変ったものには手が出ない。流行はくり返すというがこれは事実であろう。ただ前の流行がその十年か二十年先に又くりかえされたように見えても、その内容が少しずつ追ってゆきつつあることは見逃がしてはいけない。それ故にこそ、その少しずつの内容の変化が百年も経過すれば流行の憬相を完全に変えている筈である。大きく言えば流行と共に文化の様相も変化して行くのであろう。私も子供がだんだん大きくなって思うのはそれは私達が何度もやって来た事だと言う言葉で若い人達をきめつけたくないということである。同じことをしてるようにみえても、その発想がことなるなら、出来るものの感じも大きく迩っていて当然なのだから。帽子10

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