テキスト1978
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夏が終って九月に入ると秋草の季節となり華やかさはないが、紫苑やけいと、それに尾花や萩の様に初秋らしい季節感の深い草花をみる様になる。十月には意外に特徴のある花が少い。昔は十月には秋菊が出揃いそんな意味で特徴があったのだが、このごろは春の温室菊から始まって盛夏の八月まで、いつでも菊を見るようになり、うんざりとするほど菊をみなれているので、という季節感がなくなってしまったしたがって十月の菊といっても印象も蔽く、漸く十一月に入ってあわただしくも晩秋を迎える様になる。夜寒むの日を重ねるうちに早くも紅葉、いけばなの材料にも実ものの風情のあるものを使うようになる。秋は早い、ことに京都の秋は一日一日と山の樹々が沈んだ緑の中に黄葉をみるようになり、数日のうちに紅葉といり交って一層美しさを増す。このごろ、近くの山へ登るとつつじ、ならの葉など足もとに群ったかんぽくの類が紅葉して、いけばな材料にことかかない。さんきらいの実夏菊秋菊など専渓も赤くすすきの葉も色に染って、ことに野薔薇など一層風雅である。京都で紅葉の美しいといわれるのは北山一乗寺、修学院の山裾でこの方面の楓が最も色が美しい、と浅井敬太郎氏のお話だったが、詩仙堂や曼珠院の建築に色を添えて見えるのは、全く京都らしい風景であろう。京都御所の中立売御門に近い御苑内は十一月十六日、十七日、紅葉の美しい頃である。「車返しの桜」のあるあの辺り、北苑へかけての紅葉は実に見事だが、やはり京都の風景は古い建造物との調和というところに景観がある。十一月十五日、東山真如堂のお十夜の午後、柔らかな脱秋の陽ざしをみるうちに時雨が降り、庭いちめんの紅葉が雨にぬれて、やがてまた弱い陽ざしに一階色を増す。式衣の色とりどりに列をつくって本堂に向う僧侶、伝統の美とでもいうのかさえざえとして、心を洗うひとときである。信心の涙も氷る十夜かな一月に梅を咲かせ、まもなく桃や桜を咲かせるというのが、このごろの温室の技術である。まだ若芽の見えない様な木を切って、束(たば)にしたものを温室に入れると、季節よりも一月二月早く咲く。その他、温室の花の多いことは皆さんもご承知の通りである。戦前のまだ温室栽培の発達しておらなかったころは、地室(ぢむろ)というものがあった。温室以前の話だが、花の生産業者もいろいろな工夫をして、少しでも早く咲かせて廂品にしようという、それにはそれの工夫があって、伝統的な「ぢむろ」の方法がとられていた。京都では伏見が花の本場、桃山の丘陵地帯に軒をならべるような生産者の町だったが、十二月に入ると山手の丘に穴蔵を掘って、かなり広さのある底の部分に水桶をならべ、梅や桜の大きい束をつけ込む。地中の熱によって早期に花を咲かせることになる。町の中でも地室を作り早咲きの花を咲かせていた花屋があった。密集地の繁華街の花屋。台所の井戸が地室の生産所である。はしごをかけて井戸の底に降りるとここが地室にな虚子っている。二0メーターほどの深い地底を左右前後に拡張して、かなり広い温室になっている。バケツを三0個ほどもならべて水を張り、梅、桜、雪柳、椿その他草花の類までいろいろつけ込んで一日でも早く咲かせようとする。方法と場所を考えて、燃料いらずの温室というわけである。地ぢ12 室誓む寒さ夜ょ

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