テキスト1978
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観宜とうがらしやや大きい灰皿を利用して花器に使ってみた。図案が変っているので、花を活けてみると中々潤子よく見える。赤と緑の線のある図案。花は濃赤色の観貨とうがらし、白花りんどうの二種、りんどうを高く立てて、とうがらしの赤い実に重ねる様に使ってあるのが工夫である。おみなえし荒目に編んだあけびの篭。オミナェシ、ホトトギスの二種を活ける。渋い視色の竜なので緑の葉と黄色のオミナェシ、ホトトギスの淡い掲色がよく調和している。こんな野趣の深い篭には自然趣味の山草の類がよく調和する。篭の内部の見えるように軽やかな調子に入れると花器を引き立てる。ほととぎすりんどうものである。ちょっとした小品花展の様な感じがする。20作の中には花の配合もいろいろ変っており、趣味的にも変化があって色彩的にも美しい。次々と活けながらそれぞれ花器に調和するように考えて活けたのだが、自然、花のかたちも入りまじって、その中には思いがけない調子のよい花、簡単だと思いつつ活けたのが意外に手数のかかったもの、実際には花器に調和しているのに写真になると大きすぎたり、すすき、けいとうのように意外に平凡な花だったり、バンダ、ハスをガラス器に入れて実にいい花だな、小品花をこんなにならべてみると中々面白いと思っているのにその感覚が全然あらわれていないもの、くる。実際と写爽との相迩は、常々経験していることながら、中々むずかしいものである。久々に毛筆で字を書くとき、最初の二、三枚は字も堅く而白くないけれど、段々と数多く書いて行くと速度と調子がのってきて、自分ながらいい調子になってきたな、と必じるように、花も数多く活けるにつれて、なり自然、よい工夫も生れてくるものである。「なれ」とでもいうのか、数多く手早く活けることはそのいけばなにも勢いが生じて、よい花が作れるものである。けいとうなるこゆり期待はずれの作品も数々あらわれて考え方も柔らかくR @ 10 @

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