テキスト1978
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R濃い緑色の壺にススキのオバナ、トルコキキョウの白花を活けた。小品の花だが清楚な慇じの瓶花になった。花器の口が小さいのと、花器が高いので入れにくかったが、トルコキキョウの軽やかさとすすきの軽快さが調和して明るい感じの花になった。背の高い花器は前方へ垂れる花葉がないと形が悪くなる。必ずそんな材料を選ぶことである。秋のさわやかさ、そんな感じを考えた作品だが、瓶花や盛化には花形のよさだけではなく、作者の気持を表現するそんな作品が望ましい。.. 私は77オか78オになっている。一九00年に牛まれたのだから至極、計舞がしやすい。至って健康であり、顕もはっきりしていると、自分では思っている。毎日多忙なのでその多忙さが羽1性のようになっており、二、三時間も仕事が切れると、どうにもやり切れない退屈さで、なにか仕市がないかとさがしまわる。もちろん日曜などというものは全然ない。就哀は紺H午前1時か2時。新聞と同じでほとんど休刊なしという私の仕活である。休についてから1時間程度、毎日、本を読む。私の仕事はいけばなオンリーである。ろいろな仕巾、大変複雑な仕事だけれど、花を活けることと花に関する机の仕事、この二つに大別される。その他いけばな家であるが故に依頻される謡演めいたこと、チャンスを掴まえて美術展をみにゆくこと、花器をさがしにゆくこと、花をさがしにゆくこと、時々旅行をするのが楽しみだが、旅行は花に閑係のある勉強の出来ることを条件に、それを選択するという、大変打算的なことを考える。こんな生活をしているのだが、ときどき耳よりな面白い話が持ち上ってくる。私個人や流儀に。フラスする様な、主として先方より持ち込んでくるものだが、意外に面白い話が舞いこんでくる。私の永年の体験によると、よい話はほとんど先方より持ち込んでくるものが多い。その中から選択することになるのだが、大体においてすばらしい話というものは、必ずといってよいほど先方より持ち込んできた依頼のお話である。そしてそんないい話は一年に二つか三つ程度しかないのも普通である。そして内容のよい話は経費のかかるものでも即決で承閲することにしている。これは私のみでなく誰しもそんなチャンスに恵まれる様なよい話は沢山あるものではないだろう。したがってそんな機会には速かにしっかり掴まえることが大切であり、また、それに応じ褐る様な態勢を常に用意しておくことが大切である。常に努力していること、チャンスを巧くつかむこと、こんな考え方が人世に必要なのではないだろうか。いけばなに関するい(専渓)R 10

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