テキスト1978
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Rオミナエシ、カノコソウのように夏の草花の中には細やかな花が群がって咲く性質のものがあります。日本稲の野草に多いのですが、分量少なく軽やかに活けると閑雅な風情があって、座敷の花として調和のよいものです。しかし、オミナェシやカスミ草の様な細花を分量多く花をあつめて、マッス状にかためて挿すのも、いけばなの―つの手法として面白いものです。この写爽の瓶花はスタージスの紫ばなをかなり多くあつめて花束をつくり、さらにそれをよせ合せて花首を揃えて花瓶に挿したのですが、スタージスという感覚から離れて、山に咲く群落の花の様に、変わった形を見ることが出米ます。スタージスという花はあまり好ましい花ではありませんが、八月の末では紫色の花も色があせて、うらぷれた淡い紫色の中に、すでに褐色に色をかえた枯花が入り交って、さびた紫と掲色の混色が変化のある色彩のトーンをつくっています。普通にみるスタージスの平凡さとは打って変わった面白い味わいをみせているのです。花器はさびた朱色に黒の交じったガラス器ですが、洪い色の組み合せが絵画的な美しさを作り出しています。枯れすがれたスタージスの花も見方によっては面白い味わいを出すことが出来るのです。色として単調なのでさらに一種の材料を加えることにしました。庭にある鉢づくりの蓮の葉を三枚、掲色の実を二本添えると、色彩的にもアクセントが出来、また新鮮なうるおいが感じられて、変わった作品となりました。花材のないときの苦しい工夫ですが結果的には意外に成功していると思います。最近、ドライフラワーなどといって二柚の流行の様になっていますが、私達のいけばなでは、枯れ蓮、ヒマワリの様な枯花を普通に材料として使い、またその他の枯花を数多く使っています。私逹は枯花を用いるのだが、枯花に対する考え方は、自然の―つの情緒として見る場合が多く、今日のドライフラワーを飾る人逹の感覚とは、その印象のおきどころが迩うと思います。花を活ける人逹はこんな点についても充分考えるべきだと思うのです。枯れた花もよし、枯れがたのたとえば枯れすがった中に残花の二、三輪のこった花の姿、バラの枯花の掲色となまの花の豊かな色の組み合せ。散り方の桜の花、葉の中にある残花の桜、すすきの黄築、ダリアの裏花の枯れがたの福色の花弁、そんな花のうつろいというか、自然の花の生活の中のある時期をいけばなにとり入れることも大切なことです。私達のいけばなでは、材料に使う花材のはなやかに美しい豊かな姿だけを、また枯花の掲色を風雅とするそんな楊合が多く、花の生活の中の裏側の姿をもっととり入れるべきだと思います。3@

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