テキスト1978
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の作6Rこの葉蘭の仕花(せいか)、は左勝手十一枚、行の花形である。真、真の屯ね葉、見越、頁かこい、副、胴の沈み、胴、控、留、留の沈み、総かこい、の各部に葉を用いている。ばらんには葉のまん中にある葉軸を中心にして右の広い葉、左の広い葉のふたとおりとなっている。左の広い場合は右奇りの形となり、右の広い場合は左脊りとなる。この性格を利用して四き場所をきめることになるのだが、葉の大小とくせ、形の面白さを利用して用いどころをきめ、全体の花形を美しくととのえる。私が花をはじめたのは十八オだった。父の在枇中は稽古をつけてもらうということもなく、四、五人いた若い人達と一紹に本顧寺の立花師のその手伝いに辿いまわされていたのだった。度々の仕花会に多忙だったことは覚えているのだが、格別に花を教えられるということもなく、父の急逝によって突然と私に真任がふりかかってきた次第である。そのころは生花の仝盛時代で、とにかく生花が満足に入らないことには話にならない。そんな時代だったので、とにかく一日一仕花を必ず活けることときめて、独り柄古のガリ勉をはじめたのだったが、これが意外に効炭をあげて自分ながら段々と花のむずかしさがわかる様になった。そのころ、私のいちばん嫌だったのは「ばらんの生花」だった。今でもその時の状況が眼に残っているのだが、七枚、九枚程度のばらんが中々形よく活からないし、その葉づかいさえもわからない、という実に情けない状態だった。なぜ格好よく活からないのであろうかと、古い伝杏の絵図を前において考えることも度々だったが、寒い冬の夜、土蔵の二階でただひとり古書をみつめて考える私を、いまさらの様にいとおしる。そんなことを繰りかえし日を慕らすうち、ある一日、辟示とでもいうのであろうか、ばらんの生け方について実によい方法を考えついたのである。葉の性質や葉の大小を選択す<iLi心いかえすのであ瓶の節苫R 生只季き花か葉ば蘭tと私

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