テキスト1977
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この菊の生花は九月のはじめに活けた作品である。なるべく小輪の菊を選んだのだが、それでも茎が硬くしなやかさがない。生花には手頃の菊と思って活け上げたが、さて出来上がってみるとなんとなくごつごつした感じで雅趣に乏しい。葉のいい菊で、多すぎる葉をかなりとり去って活けたが、それでも太りすぎる様な感じでやさしさがない。近頃の菊は品質がよくても一本一本に変化がなく、生花に活けて風雅な姿に見えないのは残念である。この花器は耳付育銅花瓶で、このごろ銅器の花器も少なく生花を活ける銅器も珍しい感じがする。このごろは菊も一年中、いつでも見られるようになり、一月二月のま冬でも大輪咲きを活けるのが普通になって、私達の季節感もあやしくなってきたように思えるのである。昭和のはじめごろは菊も夏菊、秋菊とおよそ季節が定まっていたものである。夏菊にはほとんどめぽしい花も少くようやく二、三種程度の中菊をいけばな材料に使う程度だったが、秋菊は九月に入るとまもなく、秋一番の大輪菊が見られるようになり、それも水揚げのよくない品種だったが、ただ「初もの」といった感じの香りと手ざわりを楽しんで、その秋一番の菊を待ちかねたものであった。そのころの秋菊は九月の初花につづいて十月に入ると、ようやく水揚げもよくなり大輪咲きの豊かな菊が揃うようになったが、茎も硬くふとぶととして、ちょうどこのごろの温室菊の大輪咲きのように、美しいがもひとつ雅趣には乏しいといった感じのものが多かった様である。十一月に入ると大輪咲きよりも中菊のやや細く茎も柔らかい種類のものが多くなり、茎も柔らかく曲がりのあるものが見られる様になって、生花などにもよく、瓶花の材料にも雅趣のある菊を活けたものである。晩秋になるにつれて小菊も種類を増して、露地栽培の菊は自然、枝振りにも変化があらわれる様になって、その頃の菊は中々趣味の深いものがあった。ことに十一月中旬から十二月はじめにかけて、菊のシーズンも漸く終わり方になる季節には、菊の葉の紅葉がこの上もない雅趣を見せ、残りの花と紅葉の葉を活ける風雅さは、菊の豊かな美しさよりもはるかに深い興趣を覚えたものだった。このごろ、温床栽培の大輪咲きの美しい花ではあるが、どれもこれも変化のない菊を見るにつけ、ほんとうの菊の風雅を完全に失ってしまった様に思われるのは、私だけの好みだろうか。加化か10 t--ー・.~ 菊9の

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