テキスト1977
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専渓桑原先生は立花がうまいということである。生花もうまいし盛花瓶花もうまいし、そのついでに文章もうまいし絵も字も上手だという。その他に上手なものがいろいろあるということになると、段々話があやしくなってきて、そんな馬鹿馬鹿しいことがありますかと、こちらから御辞退申し上げたい様な気持になる。さて、その中でいちばんあぶないのは絵ということになるのだが、仕事の関係上いけばなの写生画について、少し原稿稼ぎのお話をしてみようと思っ゜とにかく画を習ったというのは、洋画で二科会の京都研究所で六カ月、日本画の先生に六カ月、あわせて一年というところへ最近俳画と称するものを約六カ月、いずれもこころざし多くして根気つづかず、俗に皿ねぶりという、実に同情の価値なしという経歴をもっているのは、まことにおはずかしい次第である。それでも小学生のころから絵が好きで、算数と理科は0点に近かったが、図画と作文は90点以上というまことに頼もしい成績をとっていたのだから、将来、文学美術には見込みがあったに迩いない。私の二十七、八オのころ、いけばなのお弟子が七十人ぐらい。稽古日に私の家へ集る人達が賑やかだったが、ふと思いついてお弟子の花の出来上がったのを写生して持って帰らせたら勉強のために、効果があるだろうと考えたのだが、それも鉛箪で描くのは面白くないし、出来れば毛筆でと大変欲ばったことを、早速実行にうつしたのだった。まず一人の花を写生するのに3分以内で描き上げる様にしないと、今度は肝心の花の稽古がだめになるからと、それにはまず機能的に準備をととのえること、ひっさげて歩き廻ることの出来るように手つきの盆を買い込んで、それに硯と晃、毛筆を二、三本、筆洗の容器と簡単な絵の具皿をととのえて、さて、花をなおして日本紙を手にもち、すぐ墨絵の様な写生絵を―つの花を約三分間でかきまくったのである。好きなこととはいえ、こんないけばな写生画を十年余もつづけたのだから、われながら大したものと、今ごろ思い返して感心している次第である。一ヶ月三00枚として1カ年で三五00枚、10年で三五000枚ほど書いたことになるのだから、全く大事業だった。そのころの速成いけばな図が私の手もとに五0枚ほど残っているのだが、ながめ返してみるといずれも思い出の多いもので、私としてはよい記念になっている。いけばなの絵専門だが、三万近くも描くと、写経と同じ意味でいつしか筆にもなれて、花の描き方も自分で考えつく様になり、下手だけれど早く書くのには自信がもてる様になった。面白い体験である。私の花の絵ノゞラはまおぎ浜おぎ,紅色のバラ,青色のがく,の三種を鉄砂の水盤に,活けた,毛筆で描いた私の絵。早書きの絵だが淡い粋色をした写生画で,この程度のものを早く描きあげる。枝葉を省略してポイントをつかんだクロッキーの様なもの。がくヽ12

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