テキスト1977
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’•凸ヽ、シ’-Rちょっとした雑具を入れておく手提篭。えんじ色の塗料をぬった小さい篭を花器に利用して、ガーベラの淡黄色の花2本、カラジュームの白い葉2枚、これを軽くさし込んで小品花を作ってみた。カラジュームの鉢もの一鉢買っておき、長くのびた葉を切りとっていけばなに使い、しばらくすると鉢の小葉が大きくなるのを待って、また必要な葉を切りとる。実に便利のよい材料となる。水揚もよいし小品の盛花、瓶花に最適であると、おすすめします。新鮮でうるおいのあるいけばなが出来ます。これからがシーズンです。写真のような軽やかな小品花もいいものです。R白竹で作った篭、これは桂篭(かつらかご)という。桂川の魚篭の意味で名附けた風雅な意匠篭である。漸く咲きはじめたキキョウの紫花に東洋蘭の葉を添えて活ける。自然趣味の風雅な感じの投入花である。季節の取合せとして青楓又はうり葉の楓にキキョウ、サンキライの若葉にキキョウ、姫百合の三稲など色彩的にも美しい。笹百合、キキョウにすすきの若葉など調和がよく、とにかく自然調の雅趣のある配合が好ましい。c置き船の形に作った竹器に、紫色のアジサイ2本、カラジュームの葉2枚、タマシダの葉3枚を取合せて活けた。軽やかな感じの意匠的な花である。切り口の一部をすかせて竹器の内部の見えるように挿すことが技巧といえる。軽やかな初夏の花である。このページの3作は小品の淡泊な感じのものだが、洋花といっても、分量少なく色彩も淡彩的なものは日本的ないけばなにしっくりととけ込み、落着きのある花となる。とにかくこれからは暴さも加わる時期であるから、いけばなにも淡泊清楚な感じのものが好ましい。分量少なくはっきりとした個性のある作品が望ましい。c `し9秋から冬へ、春から夏へと季節が変るたびにその季節の花を送り迎えるのだが、永い年月の間には一種の流行というのか、花に対する人の好みというものがうつり変わってゆくものである。たとえば生花のばらん、生花ではいちばん基礎的な材料で技術的にも面白い花形が作れるものだが、このごろは葉蘭の生花など中々見られない様になった。うまく活ける技術者が少なくなったことにもよるが‘―つには材料が昔のようによいものが手に入りにくくなったのと、栽培にも力を入れないという原因もあって、生花としてよい作品が作れない、という点もあるし花道家の方も葉蘭の様な色彩のない材料を敬遠することになり、技術の勉強もしないという悪条件も重なって、これは過去の材料の様になっている。今年の春のかきつばたが実に悪かった。京都市内の話だが、永い年間、三月からカキッパタの初花を活けてどうやら春を迎える様な気持になったものだが、今年は四月に入っても満足な材料が入ってこない。葉の大きく巾広い栄挫過多の様な材料で花は至って貧弱といった種類で、これは肥料の関係で格好さえよければ窃品として売れるという栽培業者の手段によるものだろうが、これではいけばな材料として美しさもなければ(完全に花がひろがらない)不格好な葉を見るだけ、またの造りかえといった種類で、葉は細く背丈も短かく花は貧剥といったもの、地方都市ではここまで悪くならないだろうが、私どもはカキツバタはもう駄目かと、惜別に似た感を深くしている次第。時代がうつり変わるにつれて、あれほど美しかった花も老いさらばえて姿を消してゆく。新しい新種の花と交代ということになるのだろう。一方に野生のカキツバタ11

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