テキスト1977
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単弁のやまぶきに洋水仙を添えて活ける。花器はすす竹の寸筒(ずんどう)である。軽く垂れたやまぶきは一重で四月から五月はじめにかけての自然趣味の瓶花である。八重咲きのもの、白花のやまぶきもあるが、く野趣があって風雅である。かけばなに識和のよいものだが、も好ましい。あしらいには都忘れの一重のものが水揚げもよ一種挿し紫野菊、あやめの紫花など調和よく見られる。桜がおわると、つつじ、さつき梅、-;るばらなどかんぽく類の花が咲き出し、やがておおやまれん、ほうの花、はないかだ、など低木類の花が咲く。夏へのうつり変わりの季節で、いけばなには日持ちの悪くなる頃になる。五月は花菖蒲の季節であり河骨すいれんなど夏の花が咲き出す。このテキストには能に関する話をいろいろ書いた。私の趣味のことをこのテキストに書くのは相済まぬ気持ちだが、その長い秩古のうちに習うものの立場や、能からいけばなへとうつり変わるいろいろ芸術の上での勉弛になる問題もあって、折にふれての思い出のお話も、また意義あることではないかと筆をとる次第である。ものを習うには、その習うこと自体の他に考えねばならぬことが多い。楽しみとして習うことはまことに結構なことではあるが、少し視野をひろげてみると、その皆い事によってうける深い印象が、私達の一般的なものの考え方にまで影響を及ぼしてくる場合がある。そんな点で「習いごと」もその選択を誤らない様にすべきだと私は息っている。私が能をやり出してから五十年、この間にきれぎれと休止したこともあるが、素人の弟子として観机元滋氏の時代から、狂言の茂山千作氏まで永い間お世話になったのだが、戦後のある頃ふと気づいて、さっぱり縁を切ったことがあった。私は能を心から尊敬している。それは能の中には日本的な気品の高さがあること、出演者が舞台に立つ以上は自分で自分の責任をとるのが普通であって、素人といえども舞台に出てからは誰れの助けも得られないという、この当然とされている習慣に心をひかれたのだった。従って舞台に上るものは常に真剣勝負である。また、舞台芸術としての能の高さや、伝統芸術として私達花道家の参考になる多くの問題がふくまれており、また謡曲詞章の中にある古典文学の勉強が、伝統花道のために役立つことが実に多い。立花などの伝統作品を作る上にはことに有益だったと思っている。その能楽関係からきっぱり離れて、謡本や舞扇さえもすっかり友人に寄贈して当分は失礼、ということにしたのは、それなりの理由があってのことであった。そのころは戦後まもなくで欧米文化の新しい芸術思潮がどっと流入してきたころ、私達も現代のヨーロパの芸術の思想に大変な感動をうけたものだった。自然、日本の伝統芸術や古典文学の勉強よりも、現代の新しい芸術への関心をもつようになり、能と抽象芸術の右と左の間にあって、この相反する二つの芸術に対する、どちらかを断ち切る必要が起こってきたのだった。別にそれを仕事にする訳でもなく、そんなに重く考える必要もないのだが、いけばなというものには伝統の重さが常に必要であり、また一方には進歩的な現代感覚が非常に必要である関係上、趣味といえども一方を断ち切る必要があったのだった。私は思い切って舞扇を捨てた。そして考えはじめた新しい「創作飾花」の研究と作品制作に心をまとめたのだった。しッ12 やまぶき・洋水仙

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