テキスト1977
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一一一一-”さんばそう三あれからもう五、六年にはなる狂言の茂山先生の社中でも、中々稽古熱心で成頼も極めて俣秀ということになっていた私であった。例年催される宮島巌島神社の奉納狂言に出演されては、という千作先生のおすすめで、その年のはじかめら出演の「三番三」の桔古をはじめたのであった。丁度その頃、東京の有名な狂言師が、あとつぎの息子にこの「三番三」の舞を教えるために、ある山村の神社の舞台を借りて、厳しい型づけをされていたのを、NHKのテレビそのころで見た。狂言師の芸の中では最高に難かしいこの曲のことであるから、親が子に教えるその厳しさが、この山村の荒れた舞台のすさまじさに調和して、凄然とした感覚をうけたのであった。オヒャア、オヒャア、ヒュウイヤロ「ヤッ」ヒュウイヤロウ、とひびく笛の音と強い足拍子。「弱いッ、もっと強く踏めッ」と、叱りつける父親の狂言師。森の枯れ業がそのたびに落ちて行く状景が画面に鮮明に写し出されて深い感動をうけたものだった。それから間ii'.1i•••• l9. トそ\I ` 2 \芦裟ヽ:A もない二月のはじめ、この大役が私に廻ってきたのだった。私の先生は無形文化財保持者で芸術院会員の茂山千作氏で先生としては申分ない。その御子息の千五郎氏とお二人で、それからニカ月間、みっしり仕込まれた。それから京都観世会館で上演された「三番三」も見学に行ったし、滋賀県長浜市で催された茂山千之丞氏の「三番――-」も見学した。ヒュウイヤロー、ヒューイヤロウという笛の音が耳につくほど熱心に稽古したものだった。笛は私の希望で3 厳島神社にて舞う三番専渓CーEt .〜 i .;I 10 111M~ , . 巴ヽ輩貪-~.'~ 長.. ~· ~--一岱

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