テキスト1977
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大な赤門の感覚は、立花の時代性とも関和するものがあるし、花には調係ないが、作者の私には強い恙動を与えたモチーフなのだから、全く貴璽な贈りものなのである。翌日、会場に入ったのは午後1時、それから生込みの最終時間である午後7時まで、全く粘神を打ち込んで、この作品にとり組んだ。助手は私の三女で今は横浜に住む阪田寿であった。(作品解説)花器はコンクリート着色(黒ずんだグレーに染色)した創作造形。中央上部に軽石を2個とりつけて中心を作っている。松の老木を中央上部の尖端にとりつけ、それを中心にして左右に広がる松の枝の形のとり方が、安田講堂の建造物を模している。その骨格に松の葉組みをとりつけ、伝統立花の様式により、全体的には「創作立花」の作品をつくり上げた。さて、この作品は会場で高い批評をうけることになった。立花としては新しい造形分野に切り込んだことになるし、伝統形式の立花を税代感党に調和させた点について、新しい問題を提供したという意味において好評を得たのだ以上の話はあれから15年を経た今日、楽屋話も交えて皆さんに打ちあけるのだが、私達花道家の創作というものは思いがけないところから生まれるものであって、糾意や着想は誰しも考えつき、作品に転じて作り出すものであるが、それが作品として成り上がるとき、優れたものであるか、単なる思いつきに過ぎないかは、その内容如何によって定まるということになる。程度の低い着想か高度の美術的内容のあるものかは、その作者の美術的教槌と、それを作品としてあらわす技術とが左右することになる。また、制作途上にある自分に対する厳しい自己批判、さらには幾十年にわたるその作者の技術修練が、その根底にあってはじめて、その思いを達することの出来る重要な条件がひそんでいるのである。つこ。f 安田講棠(東京大学)能から発想したいけばな造形(題)あやかし(妖怪)戦後十五年ばかり、いけばな造形が盛んだった年間があった。この作品は昭和25年に大阪に於て開催されたいけばな展に出品の私の作品である。能にあらわれる「あやかし」妖怪、に作意をかりて造形に作り上げたもので、ト、。フラスチック若色にて変化もののけの姿を空想して形に作ったものである。私のこの系統の作品には必ず最初に作意をきめそれを主題において、その感覚をあらわそうとするのが常套手段になっている。見る人達がそれを察しとろうと考えるのもよし、またその作意をくみとらず、ただ造形の面白さのみ観るのもよしといった、そんな考え方なのである。安田講党の作品発想とは少し異るが、その発想の扱い方や、それを作品に仕上げる技法がよく似ているので、参考作品として掲載することにした。素材はコンクリー専渓作← .... 花器コンクリート及びフ゜ラスチック造形花材ストレチアの白花(2mXl.5m)

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