テキスト1977
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新しい作品を作り出すためには、まず正統派の技術を充分やりとげて、しっかりとした知識と技術を根底にして、その上に新しいエ夫や形式が作り出されることが必要である。生花は伝統の花といわれる。その中には約束の形式も多いし、伝統的な技法も多い。ただ、伝統というのは古い時代の様式技法を踏製するものが多いし、今日の生活にすべてそのままではよくない、ということも当然あり得るのである。いけばなの場合、まず花材が変わってきている。江戸時代から明治時代にきめられた生花の花材の扱い方や花形技法などは、もちろんそのまま通用するものもあるが、また別に今日的な新しい花材を日ごとに多く見ることでもあり、それを生花に活ける場合、新しい工夫が必要であることはいうまでもない。花器も大変な変わり様である。伝統の活け方をして使用し得る花器というものもあるのだが、さらに考えてみると、伝統の花器そのままでは調和しない花材もあって、ばこの下の写真の花器と花材の様に)それにはそれの新しい工夫が必要であることは当然ということになる。ここで考えられることは、「伝統形式の生花」と「創作的な感覚をもつ創作生花」の二つにわけて考えるのが最も合理的だと思われるし、生花の将来のためにいちばん適切な考え方だと、これを提唱したいのである。(たとえ盛花の材料と思われる花材だが、これで生花を作ろうという、その考え方は今日の生花として面白い若想ではないか。この作品は生花の花形と技法をもって、材料は息い切った自由な材料を配合して、出来上った作品から、生花と盛花のその中間的な感じを作り出そうとする、そんな野心的な、いわば「創作生花」とでもいえる自由主義の作品である。花器もこれまでの生花に用いられない花器を使うのもいいだろうし、花材も盛花的な自由さと色調を考えるのもよい、ということになる。そんな中問的な垢所に新しい根をおろそうとするのが、この「創作生花」のねらいである。伝統生花と創作生花3'\' ン//\\、ァロエインコアナナスc シダの若芽......... ,._ .-•----・--、一-

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