テキスト1977
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京都の東山から加茂川へ入る河川に、白川と音羽川の二つがある。白川は比叡山の水源が北白川岡崎をヘて、現在の疏水に流入し、これがさらに分流して粟田口から祇園しんばし末吉町、有名な「祇園は悲し恋ゆえに」の吉井勇の歌碑のある柳の下を流れる頃は、料亭花街の岸辺を洗ってまことに粋で優雅な流水となる。歴史に有名な白河法皇の法勝寺御所のあったのはこの岡崎白川の畔といわれている。「白河夜船」という言葉もこの白川にまつわる物語から始まった造語だという。川は都市を開発し住民の生活を育てるものであるが、同時に川にまつわる歴史を永い年代にわたってうけ伝えるものである。ことに史蹟の多い京都では一層、この感が深い。音羽川というのは、京都の東山清水寺のある山辺を音羽山といい、この山中より発する小流が清水寺に入って有名な音羽の滝となり、やがてこれが五条坂の陶器の裏街を通って鴨川に入る。現在はほとんど水流もとだえてわびしい溝川に姿を変えて川、ろう。である。いるのだが、「音羽の滝の白糸の」と歌われたその音羽川の今の世の姿かと息うと、時代のうつり変わりにあわれを感じるのである。鴨川へ流入する二つの河川の話だが「上は賀茂川、下は白河」などと王朝文学の中に残る京都の小さいことに音羽川など、京都の人でさえほとんど知らない人が多く、古き時代の残夢に見る帰らざる川であさて、以上はこれからのお話の枕ことばである。音羽川が裏庭に流れる五条東山に金光院というお寺がある。御堂から書院へかけて美しく風雅な寺院だが、附近の有名な陶芸家のお寺である関係上、なんとなく芸術の香りが常にたゆとう高雅な感覚のあるお寺毎年十一月紅葉のころ、秋の御法要がとり行なわれる。清水寺から高台寺の山麓へかけて紅<黄色に彩る折柄、このお寺の書院を会場にして桑原専脱流の花展が開催される。担当は岩田艇寿氏で、また別席に望月慶聡氏のお茶席がある。ついこの問の11月の23日、この花展を拝見に出かけたが、明るい書院にならべられた挿花は所がら雅致似高いお花が多く、ことに会員の皆さんが自作の陶器を花器にして花を活こ。t けられてあるのは、陶器の名家の多い場所といい、まことに風雅な若想と一層楽しく拝見したことであっ五条栢を東へ渡ると陶器の町になる。万殊堂をすぎると清水何丁目ということになり軒並に陶器の店がつづく。ことに六兵衛、竹泉、仁松など有名な陶芸家の陶房邸宅がつづく街なみを金光院から東へ東大路を渡ると音羽山を背景にして西大谷本廟。ここから清水新道に入り東の山腹に清水寺の五重の塔を見ることになる。今日の五条通は国道の幹線となってトラックの長距離便が風を巻いて走る騒がしい道路となったが、その昔というと少なくとも戦前、古い五条通はまことに風雅な陶器の町だった。西大谷から清水への参詣道としてぶらぶら歩きをしながら陶器の店に立ちより、壷から茶道具までのんびりと買い物をしようという、この通りそのものが京の名所となっていたのだった。東大路までなだらかな坂を登りつめる辺りに三浦竹泉氏のお宅がある。表通りの瓦塀に沿って芦の植え込みがひと筋ならびに裏庭の渓間に音羽川があり、私はその畔にたたずみながら、古き時代のこの辺り、清水山麓の野趣のある風景を想起するのだった。(専)植え込まれているのだが、私の子供の頃からほとんど変わることなく、冬は冬の姿、夏は青葉がみずみずし<茂って、あの芦の植木が見えると大谷も近いと、私の子供時代をなぐさめてくれるものだった。この芦が今日でもまだ隆々として増しもせず少なくもならず、恐らく百年以上は五条坂の変遷を見つめているのだろうと、磁器に描かれた芦の絵柄を想像しつつ私なりの風雅を楽しむのである。さて、私の子供時代のお話をしましょう。明治三十年代というのだから、話そのものが骨董品に属するのだが、とにかく四、五オの頃だったと思つのだが、父の健康な頃、西本願寺の御花方ということで西大谷御本廟へも始終お出入りしていたのだが、本堂、納経所、御霊廟の花を全部挿けて総締め金一円五十銭也という時代の話である。若い衆二人に連れてもらったまだ幼い私、寺務所やお茶所で遊んでいるうち、この二人が見つからない。本堂から裏へ廻って納経所のあたりを泣きながら幾度となく廻ったのだが、とにかく見つからないうちに泣き騒ぐこの子供を見かねて、寺務所の僧侶の人達がとにかく、桑原の子だというのでお台所の男衆に送らせることになったのだろう。おだやかな人柄の爺さまに連れられて五条坂を下り、途中の道すがらJI東の果物屋でま夏の折柄だったので水密桃を二個買ってもらって両手に持ちながら、木屋町五条から京電という古めかしい電車に乗った。どうやら丸太町の私の家へ送ってもらったことがあったのをきのうのことの様に覚えている。そのあとのことは何も知らないが西大谷というとすぐ思い起こすのが、この迷子の一件である。京電に乗ったこと桃がおいしかったこと。とにかくなつかしい私の幼年時代であった。五条あたり工ぉ自と12 羽ゎJII靡

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