テキスト1977
14/148

ばらんの生花をうまく活ける人が段々と少なくなってきた。生花の中でいちばん基礎となっていたばらんだが、時代が変ると趣味も変化して、外見の美しい花を好むようになり、このばらんの様に緑一色の葉でこれを美しく見せようとする、技術的な生花も段々とはやらなくなった。真面目にばらんの様な材料を活ける人達も少なくなり、また、材料そのものもひと昔のような、葉のしっかりした厚手の材料が手に入りにくくなった。このごろ花屋で見る葉蘭は外見こそ以前のものと変わらないが、さて活けようとすると新葉の柔らかい調子のもので葉にしまりもなく、小葉を選ぷのにもひと苦労する程度のよくない材料が殆どである。昭和のはじめころまでは、何のしっかりした葉蘭を栽培する花作りがあって、何某の葉蘭は上質だが普通の莉品とは値段も3倍近くもとって自慢していた様な、高慢な栽培家があって、私達もそれを好んで注文したものだが、このごろはそんな頼りになる花作りも殆どなく、花屋もどんな葉蘭がよいのか、それさえも知らない花屋がほとんどといってよいほど、面白くない材料になった。したがって活ける方も自由にならない葉蘭を活ける興味も段々うすれて、他に多くの材料があるのに何を古呉い葉蘭の様な花材を、と見向きされないようになったのも無理からぬことである。しかし、もしよい葉があって小葉も古葉も好きに選べるような、そんな材料だったら一っ楽しんで活けてみようかと思う人達もまだまだ多いにちがいない。とにかく葉がよくなければ中々よい花が作れない、というのがこの材料の一と癖もニた癖もあるところ。これは素人の人では理解出来ない葉蘭を知る玄人のほんとうの心である。柔らかい葉だったけれど、とにかく一作葉蘭の生花活けて写真にとり、あとの二作は絵を書いておゆるしを顧うことにした。又の機会に実際の挿花写真を掲載することにする。生花の特長は外見の美しい花、色彩の美しい花を活けるだけではなく、索朴な色彩の乏しい猫柳やエニシダ、この葉閾のように緑一色の単調な材料を、生花の流麗な花(9枚)形によって内にこめた形の美しさ、技術の美しさを見ようとする花である。書道の美しさと同じ意味で、単色であろうとその中に美を作ろうとするのが、生花の特質であって、この葉蘭の生花はその代表的な生花の―つである。R 姿10

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る