テキスト1977
116/148

しい花をみて、ほっとした思いがする。これから秋咲きの椿が咲きはじめ、秤の終りまで各秤の椿をみることになるのだが、その初咲きのこの椿、紅と白の染め分けの花もめずらしく美しい、ふいり葉の色もさえて、手ざわりも新鮮な感じがして、夏の終りとともに季節がわりの花を待ちかねた私には一層、深い感銘をうける。九月の秋草もよいが、その他に花の少ない九月は弱々しい草花の九月である。そのやさしさにR9月20日にこの椿を活ける。ようやく秋らこそ九月の花のよさがあるのだが、それだけで終りというのが九月の花ともいえる。いよいよ秋の花がはじまり、やがて風雅な草の実、木の実を活けているうちに冷え冷えとする季節になってゆく。珍らしい椿を手にとって思わず大きく活けてしまった。小さく活けるのが好ましいのだが、生花の形の様に真副留の三角形に入り、写真になってから少し堅いなと思ったが、花器にはよく調和していると思う。「風流」という言葉がある。古い言葉で今はほとんど使わない様になっているのだが、上品でみやびやかなこと、先人が残したすぐれた流儀、風雅なおもむきといった意味であろう。昔はフウリュウをフリュウといって、たとえば優雅な飾りもの、華美な装飾をした作りもの、の装飾などを「フリュウグルマ」「フリュウガサ」などといわれたようである。狂言の面の中に「フリュウの面」という言葉があって、これは舞踊などに用いる遊楽の面という意味だと思う。風流本などといって浮世草紙の類をさした言葉もあった。風雅(みやびやか、俗でないこと、文雅)幽雅(おくゆかしく上品なこと)優雅(やさしくみやびやか)幽玄(奥深くて微妙で容易にはかりしれないこ枯淡(俗具なくあっさりしたおもむき)古雅(古風でみやびやか、古代の風があり雅趣こんなにならべてみると類型的な言葉もいろいろあるものである。日本人の中では彼いという言葉がすぐわかるのだが、一般のアメリカ人にはわかりにくく、ヨーロッパ人には古雅、俊雅の気持がすぐ伝わるが、幽玄、枯淡となると簡単にわかりにくい様である。日本の伝統と生活の中で育てあげられた情感は特殊なものであり、いけばなや茶道の中にある幽玄や枯淡は、たとえそれがほとんど同じ情紹であっても、日本の古い染衣の色と、フランスやローマの伝統の中にある染織の色とはその性格が迎う様に、その儀雅のもち味が少し違うようである。と)がある)車4秋のつばき

元のページ  ../index.html#116

このブックを見る