テキスト1977
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c 八月のすえから九月にかけて、山栗の実が大きくなり毎年、この栗をみるたびに、いかにも秋に入ったな、と身にしみて季節感を深くする。山裾の雑木の丘に群って出来るこの栗は、一般に深いものである。けいとう、りんどう、いとうもまだ弱々しいが、高くのびたけいとうがこの取合せを引きたてる。9月20日、私の七十六回目の誕生日です。幾山河をきたように思いますが、釘日は意外に平凡なもので、ちょうど一万メーターのマラソンみたいに急いではいけないし、とにかく経済速力で走っています。私にとってはゴールなど中々考えられません今度のテキストの写真は九月二十日に撮影しました。午後早々から花屋の材料を見に行きましたが、まだ花も充分に出揃わずいつもの通り三軒の花屋へ廻って、やっと見つけてきた材料です。充分でない材料をとにかくなんとかして十月のテキストに必要な作品を20作程度つくらねばと思いつつ、写真の小西氏を相手にいつもの様に午前2時まで、休みなく作品をつくり写真をとりました。二日間で原稿を書くのですが、今回はまだ落着いて書ける時間があります。今日は29日、明日中にどうしても害きあげて印刷に廻すと10月15日ごろに出来上ります。花がいいと写真が悪く、花が悪いcくりけいとう[しばぐり」といつて雅趣の菊などをつけると調和がよい。けのに写真はよい、といった場合が多く中々うまくゆきません。こんな美しい色、と思いながら写真にとってみると白黒ですから全然感じが出ません。白黒写真というものは形の印象だけしか伝えられないものです。いちばん大切な花の色を伝えられないのは残念です。旬月の花器について注意されていることと思いますが、これもよく注意してなるべく変わったものをと思いながら、すきな花器は幾度も使うこととなります。手持ちの花器をとりかえて使うわけですが、大分みなれた花器が多くなりました。買いに行かなければと思っています。それでも私の忘れている花器が相当ある様でして、意外によいものが土蔵から化てきます。花材や花器も大切ですが要は頭と技術の問題ですから頑ん張らなくては、と一層思いを深くします。皆さんもよいお花を活けて下さい3。(専渓)~,. ... ,,.

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