テキスト1976
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仕事をしたという感じを、まざまざと受けます。こんな建物を作る機会にめぐりあえた人達が心からうらやましく思われます。日本的な趣味の世界とは、およそかけはなれた世界です。そんな所で花をいけて法皇様にお目にかけるのだと思うと考えこまざるを得ないような気分でした。幸い花も見事なものが集まったので、その夜はホテルで明日の法呈様のいけばなの下ごしらえを夜明け近くまでしました。いよいよ12日の朝となり、法皇庁内のカルボーネ枢機卿の御部屋に行き、そこで花を仕上げさせていただきました。前夜にほとんど作り上げておいたので二人とも一時間で完成し、10時頃には大謁見室の法皇様の御席の横に二瓶かざることができました。法皇様を御待ちする間に、ヴァチカン放送の取材に応じましたが、ラジオの方は短波放送で世界中に流されるのだそうです。大謁見室は二万人以上はいれる劇場のような大建築ですが、現代イタリヤ建築の粋をこらしたものです。法品様の御席は、大理石をしきつめた舞台九百平方米ほどの上に、おちついたベージュ色の壇があり、そこに玉座が設けられています。私達は、そのすぐ左横に席をいただいたのですが、まさか法皇様の真横とは予期してもおりませんでした。壇上から最後列の席までは望遠鏡がいるくらい広い建物です。れ、輿に乗って、。ハウロ六世が入ってこられました。途端に全員が立ちあがり歓声をあげ、拍手をもって御迎えするのです。本当に心からの喜びの声をあげている人々です。日本なら、こうした場合、水をうったようにしずまりかえる所でしょうが、私達には、こんなイタリヤ的な明かるい御迎えの仕方の'-JJが性にあっているとみえ、思わず立ち上って、ニ万人の人々と一紹に拍手し、歓声をあげていました。法兒様は大出見宰の中央を輿にのって進まれ坦上に御辛石席になるまで拍手はやみません。法臭様はまず仝旦と共に祈りを捧げられてから御話を始められました。イタリヤ語なので、よくはわかりませんが、イタリヤで最近おきた大地姦の話、イタリヤの総選挙と世界の平和に関した話をなさっておられました。それからは、その日世界の各地から集まった人々の紹介をはじめられたのですが、とくに心をうったのは、聖歌隊のような法服を粕た少年や少女の団体を紹介なさった時の子供達の索肛な喜びようは、こちらまでうれしさが、こみあげるような情景でした。しばらくして私達の紹介がはじま11時定刻、最後列の後の扉が開かったのですが、出発前に私が送った日本のいけばなについてのメッセージを、ほぼそのまま御紹介下さいました。要約しますと、「私達日本人が、長い歴史の間に作り上げたいけばなを、法皇に御目にかける機会を御作り下さったことを心から感謝いたします。日木でいけばなというものが生まれたのには深い理由があります。11本という国は西欧とくらべて、な程農業に頼ってきた国です。ですから植物の生育には非常に敏感でした。うつりゆく四季と、おだやかな風土は、植物を友として見る感情を従ってきました。見た目の美しい花だけでなく、路傍の名も知らぬ雑草にも感興をそそられ、語りあううちに、日本人の自然観ができあがっいったのです。だから日本人のいけ極端て.. .. ばなは、日本人の自然観が形になって表現されたものといえます。自然に対する敬愛の心がいけばなにはあり単なる装飾ではありません。いけばなの素直な、やさしさは、法皇の御望みになる世界の平和に御役に立てるものと信じます。」謁見も終りに近づいた頃、又私達の話になり、御話の中程で、私の方をむいて立ちあがられ私の目を真訂ぐ見つめられながら壇をおりてこられるではありませんか。余りのことに私も夢中で立ちあがりました。私の前に立たれ両手で柔かく私の手をおつつみになり、祝福の言葉を賜わり、そして肩を抱いて二万人の参加者の方を向けて下さって大きく右手をひらいて皆からの拍手を求められ各新聞社のカメラマンに写真をとるよう合図されました。全く思いもかけなかった幸運に目もくらみそうでした。今度のヨーロッ。ハ行きの目的が予期したよりも何倍か大きく望みが果たされたわけです。記念に素子のいけばなと花瓶を献上してきましたが、法皇もその花を楽しまれたことと思います。今度のいけばな使節には、岩田股寿中井炭逸、吉井伸江、中井映子伊藤ユキエ、藤井一男の諸氏が御同行下さり、神戸新聞社の方と一緒に計画のすべてに御尽力いただいたことを感謝申し上げます。.... 法皇謁見をすませて法皇庁の門前カルボーネ枢機卿におくられて•••• ••••

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