テキスト1976
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今日、私はお稽古場で「紅つげ」を材料として生花の練習をさせた。活け上った花をなおしながら、そのよしあしを批評しつつ次の様な話をした。「自然の恵みを受けて育ってきたこのつげの木は、50センチにも足りない短い枝ではあるが、この老c ショウブの葉木になるまで恐らく10年ほどの年月を越して来たものに違いない。私達はこれをいけばなの材料として、山にある以上の美しい姿を作るために、技巧を加えるのだが、よく見れば、小さい枝葉に至るまで生命を充実させて、さびた木振り、紅葉の美しい光沢、見ればみシャクヤクるほどその美しさに心をひかれる。私達はこの木の美しさを、最後の小枝に至るまで、慈愛をこめて、情をもつべきだ。それがこのつげの木の生命を完うすることにもなるのだと思う。」活けあげた残りの材料の中に10センチほどの小枝が10本ほどあったが、私はその小枝を指にはさみながら、次々と小枝を加えて、小さい生花の花形を作りあげて行った。ごみ箱に行く残花であったが、あらためてあつめてみると、これは花屑ではなくて、微小な生命の集まりであった。どんなに小さくとも真、副、胴、留、控の五つの花形が出来、みずぎわまで一もとに揃って、美しい生花となって行く。つくづくと考えてみると、力のこもった大作の中にも、その微小な枝葉や花の一片に至るまで、私逹、花を活けるものの慈愛の心が行きとどいてこそ、優れたいけばなが出来ることになる。文章を書く場合も同じである。一気に書き上げることも必要であるが、一字一字に線骨の文字を重ねて行くことが大切である。花を愛するこころ、文字を愛するこころ、いずれもその帰するところは同じであろう。私の父が亡くなった後、しばらよいいけばなに作り上げる熱し、。くの数年間を、師範のうちの年寄りであった西村慶珠という人に、私の家の稽古場を預ってもらったことがあった。生花のうまい先生で、正統の桑原専巖流を私共に伝えてくれた功緒のある人だが、この老人が時々、けい古場のごみ入れの中から、小枝を拾って来ては、丁寧に形をつけてそれは見事な生花を作って、「こんなよいものを拾てるということがあるものかと、」笑いながら、教えてくれたことがあった。なるほどよく考えてみると、枝先は花材の中の一ばんよいところが多いし、ことに春の木ものの、梅、椿、桜の様な枝ものには、捨てられた花屑の中には、この枝先の折れた材料にも美しい小枝が多これらをあつめて活ければ、姿は小さいが美しい花形が作れることになる。全く、この考え方がいけばなを勉強する人達の一ばん必要な心がけに違いない。活けにくい材料を工夫していける、ここに真実の研究がある訳である。私のけい古の始めには、山の木や河原の草を採集して、とにかく数多く活けることが重要な勉強の方法であった。そして、材料の小枝や一枚の葉に至るまで、大切に慈しみの心をもつことを、厳重に教えられたものであった。花を愛するこころ

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