テキスト1976
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日本の伝統の中に育ってきた「生花」は、古典的な日本芸術にある「高い気品と格調」が尊ばれることは当然であります。三島由紀夫は伝統の日本精神に深いあこがれと認敬をもっていた人でありますが、その作品の中の「文章読本」に次の様に書いています。「私はブルジョア的嗜好といわれるかもしれませんが、文章の最高を、格調と気品に置いています。正確な文章でなくても、格調と気品がある文章を私は難敬します。」「しかし一言をもって言い難いこの文章上の気晶とか格調とかいうことは、闇のなかに目がなれるにしたがって物がはっきり見えてくるように、かならずや後代の人の限に見えるものとなることでありましょう。」「具体的に言えば、文章の格調と気品とは、あくまで古典的教掟から生まれるものであります。そして古典時代の美の単純と簡索は、いつの時代にも心をうつもので、現代の複雑さを表現した複雑無類の文章ですら、粗雑な現代現象に曲げられていないかぎり、どこかでこの古典的特質によって現在の現象を充服しているのであります。」四八・八中央公綸社この言葉の中に私達の伝統生花にそのままあてはまる数々の考え方があると思います。「高い格調と気品」「美の単純と簡索」など大変よい言葉ですが、これは私達の生花についてもいちばん必要な条件でありましす竹のずんどう(寸筒)の花器に活けた桑原専殿流の代表的な花形で、左勝手行の形です。はしばみ5本、白椿2本の簡索な花形ですが、1本も無駄にしない様なきびしさがあると思います。美しい技術、清浄な品格、そんな感じを出したいと考えて作ったのです。足もとをしっかり一つにまとめることは生花のいちばん大切な品格を作ることになります。実際には、はしばみを後方と前方に分最を増してもよい。(つつじつるもどき椿すいせん)て、古典的教養を大切にすること、また正しい伝統の技術というものは、いつまでも心をうつもの、と思います。三島由紀夫の多くの作品に、この思想がうかがわれ、必ずしも今日の芸術思想にそのまま持ってくるわけには参りませんが、ただ、生花の考え方について参考になるところが多いと思います。生花は「簡浄の美」を豚重するいけばなであります。神社建築のよう11月のすえに活けた生花です。す対ページ⑧ R (はしばみ白つばき).... 伝統と形式(格調と気品)2

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