テキスト1976
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R白い大きい中国の陶器、この水盤は「白なまこ」といってこれほど大きいのは珍しい。最近京都の古美術店でみつけた花器である。季節の山草をとり合わせて写実的な盛花を作った。盛花のうちにこの写真の様な自然の景観をうつして作る様式がある。山の水辺にある惜景を校して作った写実様式の作品である。この場合は自然に野生する材料を取合せて活けることが必要。cホウの若葉とシャクヤク(洋種)のまだ堅いつほみの花を3本、とり合わせて瓶花とした。渋い紅色の花とたっぷりとした濃緑の葉がどっしりとして強い感じをみせている。花器はあずき色の丸い壷だが、ホウの木の直上線がよくのっていると思う。四月下旬に活けた瓶花で、シャクヤクが今少し咲いていると調子がよくなると思う。シャクヤクを右方へつき出している形が面白い。c だれだって巧くよい作品を作りたいのは当然です。さて活け上げてみると中々期待した様に出来ないというのはどうしてでしょう。これを具体的に考えてみることにしましょう。まず第一に研究期間が少なくて技術的に不十分であること、いけばなに対する理解が不十分であること、こんな場合はまだまだ稽古が足りない、ということで当然であるし将米のびて行きますから、そんなにあわてることはありません。しかし、かなり長期間習っているのに中々よい作品が出来ないとなると、それはどこに原因があるのかとよく考えてみる必要があります。まず、材料の配合がうまく出来ているかということです。取合せが悪いと中々よい感じが出せません。色彩的によくない取合わせ、材料の質の悪いこと新鮮な材料でない場合、花器の選択がよくない場合、それにもうひとつ、多忙な時で心の落粋かない場合、以上の様な場合は中々よい花が活からないものです。更にもうひとつは、材料花器などよいはずなのに中々出来ないという場合があります。これはかなりよく出来る人達に多い例ですが今日こそはよい花を活けようと、はじめから期待が大きすぎると失敗しやすいのです。よく見せようとする心が多すぎると反対に結果はよくなりません。例えば自分ひとり静かに花を活けるときはいいお花が入るのに、人が見ていると中々うまく行かない、というのと同じで、その時の態度は決して純真ではないのです。巧く活けようと思う心は、反対によくない結果となります。したがって花を活けるときは純真に静かな心で花を楽しむといった態度が、いちばんよい花が出来るときです。苦しんで活けた作品には心のわだかまりがあらわれるし、疲労の姿が花の作品までのりうつります。枝が折れたり、花が蕗ちたりするのもこんな場合に多いのです。安らかに花を楽しみつつ活けたいと思います。拙い出来上りでもよい楽しそうな花を活けたいものです。5 ホウの木シャクヤク

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