テキスト1976
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c 本の「カラタチ」と似ているが針が長く茎に屈折があってなんとなく異風な感じがある。もちろん枯れもので褐色だが、この写真の瓶花はかなり大きい壷に「ソーン」と赤椿の「ボクハン」を取合わせて、たっぷりとした大きい瓶花を作った。椿の葉の中から前後に深く茎を重ねて入れた「cこのイバラは印度産の「ソーン」という。日ソーン」の枯茎は色彩的にも引き立っているし、壷に調和した落若きをみせていると思う。カラタチの枯茎では、なんとなく汚なくて、こんなさえざえとした枯れ色がない。同じように見えても、なんとなく渋い中に美しさが見えるのは材料のもつ特殊な感覚といえる。花器は新しい感じのある陶器である。紺色と白と黒色に色をわけて「のこぎり目」のある装飾があって新鮮なもち味がある。(近藤豊氏作品)花器のもつ力、花材のもつ重厚な感党、それを活ける技術、これが結び合って、いけばなの個性を作り上げることになる。壷は花を引き立て、花は壷を引き立てる。そしてこの二つが完全な瓶花を作り上げることになる。品(ひん)がよいとか、気品があるなどという言葉を私逹はつかう。人の価値を定める場合につかうことがあるが、物品のよしあしを批判する場合にもつかわれる言葉である。いけばなの作品を鑑宜批判する場合、程度をきめる場合にもよく使われる言葉である。作る人の性格やあらわし方にも閑係があるのだが、また、素材として選択する花材に対して、そのよしあしを定める尺度にもなる。また、花器にも品位の高い花熙、低俗な趣味の花器などいろいろある。単に外見がきれいに見える程度に仕上げた花器もあるだろうし、また、高い品位をもつ花器もある。これは花器を作る人の教養と技術によって定まる。私逹は花を活けるたびに花材を選び花器を選択する。そしてそれを活けるにあたって、作者の心のもち方によって、どんなに優れた花器もどんなによい花材も、時としてそれを引立てることも出来ずに、折角の花器も花材も低調な感じに見せてしまうことになりかねない。どんな程度が格の高い程度であるかということを理解することが大切であるし、それをいけばな作品としてあらわし得る、心と技術をもつことが実に大切である。11 ソーン赤椿

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