テキスト1976
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ン—フク・{,.c 私の若いころの話です。友逹にAという日本画家があった雑談のときに私が「画がわかるにはどうしたらよいのか」と質問したことがあります。その画家は30オぐらいの男だったのですが、竹内栖鳳塾の新進ということで中々はっきりした性格をもった男でした。買うことですね」と、にやりと笑いながら、ずばり答えたものです。そのときは、厭にぶっているな、と聞きながしたのですが、その後、年が経って絵が買えるようになったとき、この男の言葉を思い出したのです。なるほど金を出せばどうしても真剣になる。買い損じのない様にその絵の価値を考えることになる。絵のよしあし、巧いかどうか、その画家の社会的立場はどうか、などいろいろ考えてから、よしっ一丁買った、ということになります。自然、絵を真剣に考える、他と比較する、こんなにしているうちに度重なるたびに絵のことがわかるようになったというわけです。陶器(花瓶)の場合もこれと同じでした。これも二十二、三オのころから買い始めたのだが、はじめはいいのか悪いのか全くわからない。とにかく値が安くて格好のよいものを買っていたのだが、いつしか年が経つにつれて、見る目が向上したのと、花を活けてどれがよくうつるか、ということが解ってきた。やがて陶器の本質的なよさや、陶芸家の作風や、真実の技術のうまい作家、陶器としてむずかしい仕事をよく仕上げた作品など段々とわかるようになった。結局、ここまでくるのに何百個の陶器を買ったことになる。陶器がわかるには何よりも貿うことですよ、ということになる。あの絵描きは巧いことをいうたもんだ、と時々思い出すのです。わかるのには「画がわかるにはねー|それは画を7 "< t,, 四方形のかなり大きい水盤である。花形もたっぷりとした盛花。南方で野生するゼンマイ4本にランの葉を添え、黄色のスカシユリゼンマイスカシユリ白ツバキ2本を入れる。単弁の白椿を左後方と右前方に挿して、みずぎわをととのえる。淡彩的な日本趣味の盛花である。

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