テキスト1976
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~没罪C必唸怨貸廿ー店R細い編み目の手附篭の花器。手ぎれいな感じの篭である。篭の花器は総じて軽やかな花がよい。分量も少<淡泊な材料を好んで活ける。これが篭の花の趣味である。風雅な感じ、自然趣味の草花の類がよく調和する。椿などの木も万は小さく分量少く入れる。写真の花材はハンの木、紫花テッセンの二種を取合わせたが、濃い紫ばなと褐色のハンの木の実の配合は変った調子である。褐色と紫の配色がよい。形は温雅な調子だが配合に注意した投入花である。Rこの瓶花は淡紅色のボケ、白花のボタンの配合である。花器は古い中国の均窯(キンヨウ)の壷。濃いコバルトの色調に強い光沢がある。数百年の歴史をもつ陶器だけあってなんとなく気品がともなっている。こんな花器には牡丹一種がふさわしい。ぼたんを色を交えて一種挿しがよいのだが、この写真の日には、豊かな牡丹がなかったし、葉も充分でないので残念ながらボケをあしらって瓶花とした。中国の古い陶器にボタン感覚的にも最上の配合だと思う。皆さん、いつも私が述べている様に、桑原の瓶花、盛花には色彩が重要な役割を果していることをよく考えて下さい。前ページのふくべの黄褐色の花器、内部の黒色の漆の色とそれにカキツバタの紫と緑、アカメ柳と白椿と新しい銅器の色ハンの木とテッセンの紫、キンヨウの強いコバルトに白いボタンと淡紅のボケ、どれも色彩的に留意していることをよく考えて下さい。一種は、tic いものかと随分さがして廻った。倉敷でも、大阪、神戸でも、京都市内でも方々の道具店や陶器の窯元などを廻ってやっと見つけ出したのが20個ばかりだった。この写真に見る様にこれは横浜の元町で買ったのだが、これは大したものではなく、タイ国のチーク材で作った果物盛りだが、東京、横浜なればなにか目新しい花器はないものかとさがし廻ったのだが、結局はこの果物盛り一個だけを持って帰った次第です。東京銀座の資生堂の五階にあったインド製の乾漆の鉢、これはいいものだったが、残念ながら店の装飾で売れません、といったものや、ゆっくり落ち着いてさがし廻れば必ずよいものをさがしあてることが出来るだろうけれど、それも旅さきのこととて中々思う様にはなりません。の手持ちの花器でも、そう度々と使えるものではなく、古い時代の花器でも新しい花器であっても、自分が新しく見つけ出した花器というものは、新鮮な気持で花が活けられるものです。手持ちの花器のよいものがあっても、それをおいてなにかよい花器がないかとさがし廻る。これは贅沢ではないと思う。さて、このチーク材で作った容器、紅梅と大輪の白い菊、庭の岩ソデッを作った。梅と菊の配合は季節外れの取合せだが、温室栽培の発達したこの頃では、意外な配合が可能になった。c先日、花展の際に変った花器がな花展に使う花器というものは、自分(シダの種類)の三種を配合して盛花5 f‘ ~~~~

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