テキスト1976
15/149

きっちりしたものが好きでして、その関係で生花がすき、ということになるのでしょう。素子千原さんのお姿のように、すっきりとよく整った生花は、全く好ましいスタイルです。そして香りの高い感じの花、それが生花としていちばん美しい姿ですね。そして千原さんはいつも見つめられる生活をなさっていられるから、静かに見つめる生花の美しさに趣味が一致するのだと思います。千原それに書道が好き、という関係もあるのでしょうけれど、私、お花を活けながらいつも考えるのですけれど、健康な身体でないとすこやc 盛花を活ける千原さんかな心が生まれないと思いますし、お花を活けるときもそんなゆとりのある時でないと、よいお花が入らない様に思われます。どうも気分の進まない日はお花も入りません、と思いますけれど。素子ほんとうにその通りです。そんな気持でお花を活けたいと思います。ところで昨年の四月でしたか、岡山市の国際ホテルで「きものに書く日本の文字」の個展をなさいましたね。千原私の作品を並べて見ていただいたのですけれど、ちょうど岡山駅のいちばんホールで、専渓先生の個展や流展がありましたのと同じ期間でした。素子大変いいお催しだったときいております。津山市では現在、延原凝寿さんが、桑原専慶流を教えておられまして、時々「衆楽公園」道展があります。「ふるさとは遠きにありて思うもの」という詩がありますが、全くふるさとはいいものですね。今日はどうもありがとうございました。浜松屋の舞台ではりきるで花桑原先生の弁天小僧専渓いつのまにか20年前の話になりましたけれど、そのころ私、映画や舞台関係の方に交際する機会が多かったのです。歌舞伎では亡くなられた中村吉右衛門、中村富十郎、梅東三津五郎さん。片山仁左衛門先生は私に素人歌舞伎を教えて下さった先生です。富十郎さんには太閤記十段目の十次郎の役を教えてもらいました。三津五郎さんとは蓑助時代、京都の選挙の応援でご一緒に演説をやったり、素人歌舞伎でもいろいろかんどころを教えてもらったのですが、新劇くるみ座の毛利菊枝さんとは、私が京都市文化団体懇話会の副会長をやっていたとき、京都会館で私が狂言といけばなを組んだ創作の様なものに出演、毛利先生の詩の朗読で花をもたせてもらったこともありました。変わったところでは曽我の家五郎一座の人達が十数名も私の家へみえ、丁度そのころ「千利休」の劇を南座で上演中でしたので、その劇中の利休が花を活ける場面の花の活け方を指導したこともありますし、香川京子さんも六角の家へみえ花を活けるところの映画撮影、珍らしいところではアメリカのマーロンプランドが京都で撮影中に来宅、その他のアメリカの女優さん達も数名、花を習いにやってきました。南座の素人歌舞伎では「白浪五人男」でそのころまだ索人だった山本富士子さんと一緒に出演したのも私の想い出話の一っです。ここに掲載したのは京都南座の索人歌舞伎で、「浜松屋」の弁天小僧菊之助を熱演する桑原先生。「知らざあ言ってきかせやしょう」と、ご存じ名せりふで大むこうをうならせる桑原先生。がかかる。なにしろ二千名の満員のお客さんです。賑やかなこと騒々しいこと、とにかく出演者仝員が私こそニ枚目と思っているのだから世話ありません。わあわあ、があがあ言ってるうちに西布がしまる、ということになります。とにかく古い写真帳から引っぱり出した思い出の写真、新年のお笑いぐさにごらん下さい。(この索人歌舞伎は夕刊京都新聞社主催の歳末慈善公梱です。)「待ってました家元さん」と声歌舞伎の私.... 11

元のページ  ../index.html#15

このブックを見る