テキスト1976
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て、伝統の形式を守りながら知的な新鮮さを注ぎこもうという考えのあることです。そして、昔からある花材でも好ましいものは材料として用い、それを美しい今日のいけばなとして作り出そうとする意欲のあることです。また、以上の20作のうちには含まれておらないけれど、もっと洋花を材料に使って、それを日本的な静けさの中で感触を変えた花として、生花に作りかえようとする、そんな考えも多分にあるわけです。例えていいますと、日本の短歌、俳旬なども日本の文学として―つの立場をもっているものですが、伝統と形式の中で育てられ今日にきていることは、ちょうど伝統生花とよく似ています。現代の短歌俳句は、短い形式の中で今日の思想と観察をのべようとしており、伝統の形式をまもりながら、或はそれをつき椒っても新しい文学としての立場を見なおすことに力をつくしています。限られた文学の中に強い表現をしようとする短詩の形式は、幾百ページの文章にまさる力をもつものと思うのです。生花もこれとよく似た性格をもっていると思います。限られた形式の中で、その自由さの中で、大きく広い感覚を作ろうとする生花の努力こそ、現代の今、最も必要なことだと思います。生花の中に新鮮な忍じを作ろうとするのにはどうすればいいのでしょう。それについて考えてみます。洋花を使い新しい現代様式の花器を使ったからといって決して新鮮な感じが出てくるものとは限りません。しかし花材と花器の感じが作品に深い関係をもち、暗い感じを与えることにもなりかねないので、まず、第一にこれから改めて行くべきです。明るい感じの材料、日本の草木でも外国の草木でもよいが、色の美しいもの、これもわかりやすくいえば御婦人の服地やアクセサリーにある様な感覚を生花に持ちこむこと、それに知的な感覚のあることが何より大切です。材料の形も当然これと同じ考え方で選択します。モンステラ、ストレチア、アンスリュームの花と葉、トルコキキョウの類は効果的な花材です。また「ボケの花にカラジュームの葉」「猫柳に洋蘭の花」なども面白いし美しいでしょう。こんなに配合について考え方を変えれば、当然、イメージアップということになると思います。けいとうの枯花ならの葉小菊枯れた「いちょうけいとう」「ならの葉の紅葉」「黄花の単弁小菊」この三種を一瓶に活けました。り花としては変わった配合です。秋の日然の花材をあつめたもので、この印のいけばなとすれば変わった材料ではありません。しかし、この程度の配合でも古い生花には見られない取合わせなのです。草花を高く真につかい、木ものを低くつかうということすらも珍しい用い方なのです。もちろん枯れた花材もあまり用いませんでした。出来上ったこの生花を見ると、決して無理な配合ではありません。花形もかなり自由な自然を活かす様な楽な調子に活けています。この自然風な材料をしっかりとした生花の形に作りあげているところは、中々面白い趣味ではありませんか。3本馨

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