テキスト1976
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②オレンジ色のストレチア。花と葉と一本ずつ、けいとうの紅色と淡黄色をつける。花器は濃緑色の陶器で30センチ立方の重量のある花器で、どっしりとした感じである。花器は強くこれに比較すると花は草花の配合で軽やかだが強さに対して花も強い感じの木ものなどを入れるよりも、かえって新鮮な感じをうけると思う。ストレチアの花と葉を対照的に二つ立てたところが、この瓶花の作意のあると、花器のころで、ストレチアの葉を平凡に使うと低俗な感じがするので、普通は花だけ使うのが常識的になっているのだが、この作品の様に葉の用い方に重点をおいた作風は、また別の而白さを感じられるのではなかろうか。形と色の組み合わせによって新しいエ夫を作るのが、今日の瓶花といえる。③同じ瓶花からストレチアをとりさり、けいとう、いぬころぐさ、の二種にしてみた。強い花器に細い茎のいぬころ② ストレチアぐさも意外に調和するものである。強い花器に強い花材というのは常識的だが、例えば渓谷にそびえ立つ大巌石に細い西文草のったの迎や、定家かずらがよりかかっているように、がっしりとした花器に弱々しい草花を挿し添えた瓶花など、反対の調和とでもいえる。面白さを感じるものである。この瓶花のけいとうにいぬころぐさの配合はそれと同じ意味で、ことに細い茎を折って花形に変化をつけたところにも‘―つの工夫がある。ケイトウ伝書(立花錦木)の中に「紅葉は高尾山をうつして峯より染め」という文章がある。楓樹を立花に立てるとき、上部の真の位置には紅色の楓の枝を使い、段々と下部の枝に及ぶにつれて黄葉から緑と色をかえて挿して行く、その考え方と技法を教えた言葉なのだが、紅葉の立花を作るとき私達はその意のあるところをくみとって、さて、紅葉の色のよいものを採集ということになると、中々、紅黄緑の染めわけの、網子のよい材料が手に入りにくい。この桑原冨春軒の伝書が書かれた江戸初期のころには、京都でも町近いところに楓の樹が気軽に採集できたであろうし、その他の木もの草ものの材料も意外に手近かに得られたに迩いない。さて、この11月には「紅葉の立花」を写真にとる予定をしているのだが、近頃、京都附近では北山の修学院から大原へかけての北郊か、梅畑から高雄方而の西山、それに東山南郊の東福寺方而、これらはいずれも昔からの紅葉の名所である。沢谷渓流に位置する北山、西山、東山の山麓地帯が京都ではいちばん紅葉の美しいところに迩いないし、ことにその中では修学院の紅葉がいちばん美しいといわれている。いけばなにする場合、紅葉の楓は水揚げの悪いものだが、大体、紅葉というものはすでに落葉を前にした、楓としての最後の姿であって、人世にたとえていえば晩年の最終の色彩である。青楓は水揚も楽だが、紅葉は活けてもすぐ葉が巻く。水揚が悪い。いちばん効呆的なのは、紅葉の葉いちめんに砂糖水をふっかけると葉が巻かないし、糖分の閲係で長時間うるおいを保つことが出来る。これで活けてから二、三日は葉も券かないでもつ。光沢が出るのが欠点だが気になるほどでもない。紅葉2

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