テキスト1976
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海道の千歳空港から札祝市内へ入る国道の景色によく似ており、ときどき赤い屋根の民家が見え、実に美しい。日本の羽田や伊丹のように工場地帯を通りぬけて市内へ入る、あの感じがなくてやがて優雅な。ハリ市の中央に入り、はじめて見るシャイヨ1宮の広場からセーヌの栢を渡って私達のホテル、リ」に貯いた。おいたガイド金井延予さんに会う。第一印象もよく早速ながら、見学にら下町の情紹まで、庶民の生活から「ニッコー・ド・パ夜の観光まで、精力的に見て廻ろうホテルのロビーでかねて依頼してついての打合わせをする。わずか10日間の日程を最も効率のよい方竺C、代表的な。ハリの名所かというのだから、ガイドの金井氏も中々大変だと思っ。それでも私の意のあるところをよく考えて、早速スケジュールを作ってくれたのは有難かった。しばらく休憩ののちホテルを出発する。。ハリのタクシーは日本の様に多くない。たまたま来たのに交渉すると四人は乗せないという。それではと、附近の地下鉄を利用してセーヌ川の北方にあるシャイヨー宮に行く。シャイヨー宮殿は王朝時代の宮殿で一九―――七年に。ハリ万国博会場として使われ左右の建物のまん中は展望台となっており、その前面に巨大な哨水がある。夜間、照明に照らされた美しさは咽水の最高の芸術といってよいほどすばらしいものである。私達はそれから後にこの広場を通って噴水を幾度となく見ることが出来たが、パリで最高といわれるこの噴水は実に見事なものだった。前方にエッフェル煤が登え立ち、シャンドウマルス公園とともに、。ハリの数ある広場の中でも実に美しいながめであった。丁度私達がシャイヨー宮の石段の上の広場に登り切ったとき、そこには参観の人達がかなり多くいたのだが、シネガル人(黒人)が20人ばかり風呂敷の様な布をひろげ小さい装飾品の様なものを売っている。突然その連中が鳥の立つように一斉に商売品もろとも風呂敷を手掴みにして、どっと逃げ出して行ったので驚いて見ていると、やがて警官がやって来て、逃げおくれたそのうちの一人を検挙した。軽犯罪ということになるのだろう。捕った一人は日本人のヒッピー族で、目の前で捕った日本人を見ている私達は実にはずかしい思いをしたのだった。美しい。ハリにもこんな恥部のあることを第一日目に知らされた。ふたたび地下鉄に乗って「凱旋門」のあるシャンゼリゼに行く。゜ハリの地下鉄は全区問(のりかえも入れて)1フランである。安いし大変便利がよい。凱旋門はナポレオンが建設を命令し、しかも竣工を見ずして没落したという歴史的にも有名な建造物で、シャンゼリゼ通りの中央に偉容を誇る様に豪壮な姿をみせていた。凱旋門の広場を中心にして12本の大通りが放射状にひろがっているのだが、そのうちのコンコルド広場まで一直線につづく大通りがシャンゼリゼである。道巾一五0メートルの両側にレストランやカフェが並び、歩道につき出たテラスでお茶をのむ。(写真専渓)(60円)、セーヌ川の遊覧船(バトー・ムーシュ)12 曇

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