テキスト1976
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急に思いたってフランスヘ旅行することになった。いつも忙しい生活をしているので二週問の休暇をとることは中々大変なのだが六月に入ってから日航へ申込んでみると、ほとんど満員で「マイ。フラン日間の旅」というのに座席が残っていたので、どうやらこれに便乗することが出来た。私の外国旅行ははじめてである。これまでたびたびチャンスがあったのだが、どれもいけばな関係の旅行で、たとえば京都市から頼まれて高山京都市長の随員の様な形でヨーロッ。ハとアメリカヘ旅行をすすめられたり、日本いけばな芸術協会の代表としてモントリオール万国博へいけばな使節として行って欲しい、とか、その他いろいろあったのだが、折角の外国旅行なのだからいけばな関係を離れて、たいという私の欲望とは、少しかけ迩っているので心ならずもご辞退したのだが、さて、今度は団体旅行ではなく自分の思うように。ハリの表通りから裏町まで、ひと通り見ることが出来、わずかな期間によい勉強が出来たことを幸せに思っている。このみじかい旅行記は、とおりいっぺんの土産話にすぎないのだが、同行の桑原桜子、小田康子と、ガイドの金井延予氏といっしょに、とにかく能率的に見て廻った。ハリの印象記とでもいったものである。日航の403便、三五0人乗の大型機が羽田を出発したのが7月23日午後10時40分、機中で映面を見、食事をしながら、約・。ハリ127時間ほどでアラスカのアンカレッジに珀く。この飛行機は北廻りで北極限を越えてオランダのアムステルダム行きの航空便である。アンカレッジは荒峯とした空港だった。はるかに千島列島の海を飛んできた私達には一層わびしさを感じさせるのだろうが、遠くエゾマツやモミの樹林でかこまれた広い滑走路に面して小さいビルがあり、それが空港の建てものであって、それ以外は樹林と草地の限りない原っばに続いている。それでも日本航空の大型機が3機、ブラのんびりと見学しジルやカナダの飛行機にならんで見えるのは、なんとなく心強い思いがした。広い滑走路の草原には紅紫色の草花ヤナギランが群落をつくって咲いており、緑の中にきわだった色彩をみせている。ここで給油と乗務員の交代があるらしく乗客の私達は飛行機から離れて空浩の建物へ誘瘍される。待合室には売店があって土産物屋が型の如くならんでおり、日本人とカナダ人らしい店員が日本語で売り声をあげている。日本人の客がほとんどで、アラスカというものの日光やお伊勢詣りの土産アンカレッジからパリへ専淡① パリの10H間` ~)レーブル美術館にて伽“ノートルダム寺院とセーヌ川~.,,__ ”ヽ・・t10

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