テキスト1975
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ガラス工芸の形式との二つの方法によったものといわれているのだが、それを基礎として形、図案色調、彫刻文など日本の生活用途に密着した装飾性のあるものが考案された。吹竿によって作る(宙吹き)様式によって作るガラス器具は、いわゆる(ビイドロ)と呼ばれ、また厚味のあるガラス塊に彫刻をほどこすものを(ギャマン)ととなえて、日本座敷に調和する器具食器を作り出した。もちろんこの時代には貴重品として大名、禁裏への贈答品として使われる程度だったらしいが、やがて江戸、大阪、長崎、薩座、沖縄など全国的に生産される様になり、一般大衆へも普及されるようになった。江戸中期以後になると「色附ガラス」や「切り子ガラス」の技術の精巧なものが作られる様になり、皿、鉢、瓶、金魚鉢、こうがい、きせる、風鈴などの生活用具に用いられるとともに、ガラス器に金彩、色彩で絵附した意匠的なものが一般に好まれる様になった。江戸時代のガラス器具の類は今日でも保存されたものを見ることが出来る。金沢市の成巽閣には江戸時代のガラス器具が多種類にわたって陳列されており参考資料として貴重なものである。明治期はガラス器の大衆普及の時代だったといえる。明治初年から政府がガラス工業に力を入れ植産興業の一っとして官営の品川硝子製作所などを設立、専ら生活用具としてのガラス器具、たとえば食器類、石油ラン。フ器具をはじめ、外人技師を招いて板ガラスの製作に従事した。従って明治のガラス器は生活用途のものが多く、芸術的作品はむしろ江戸時代中期の方に優れたものがあった様に思える。私の記憶するそのころのガラス食器はぶ厚い透明度の悪い粗悪なものが多かったが、ちょうど沖縄ガラスの様に吹竿製作による素朴な味わいがあり、氷水用器などに見られる民芸風な鈍重な感じのものが多かった様に思える。今日、民芸店で見られる郷土趣味のガラス器の様に濁りや斑文のある透明度の悪い製品だが、そこに素朴な時代感覚があって面白いものだった。今日ではあらゆる機能的なガラス製品とまた別に百貨店で見る様な外見の美しい大量製品のガラス器が氾濫している。そしてその他に、高度な芸術作品としてのガラス器具を作る美術作家が一方にあることは、すでに皆さんも御承知の如くである。ーF 蛇7⑫ ⑪ ., ヽ

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