テキスト1975
93/147

「博物誌」—紀元一歯紀ーに、るものとして、ありふれた素材となっているのだが、今から五千年以前にガラスが作られた時代には、黄金や宝石に劣らないほど貴菫なものとして珍重されたものらしい。ローマの博物学者プリニウスの(その昔、天然ソーダを商う面人達の船が、ベールス川の川岸に入ってきた。そして食事の仕度をするために、彼らは岸辺を見廻して、大鍋を支えられるようなかまど用の石を11) さがしたが、中々見当らなかったので、積荷のソーダ塊を取り出して、かまどを作った。このソーダ塊が熱せられて、砂浜の白砂とうまいエ合に合わさったとき、それまで見たこともないような透明な液体が、何本もの流れをなして流れてきた。これがガラスの起源となったのだ、といわれている。)(ベールス川は、レバノンとイスラエルの国裳に近いイスラエルのアクルという町の近くを流れている(由水常雄氏著「ガラス工芸」より)ガラスはこの起源説とまた別にエジ。フトとメソポタミア(チグリス、ユーフラテス川の問)地方に、紀元前三000年代に作りはじめられたという説もある。従ってペルシャ、エジ。フト、ギリシャに古代ガラスの出土品が多く見られ、その地方がガラスの発祥地といわれているのである。古代ペルシャのササン朝時代にはかなり進歩して装飾性のあるステンドガラス、シ元3世紀から5世紀頃といわれ、日ャンデリア、王室の食器など製作される様になり外国への贈りものとしてガラス製品が使われていたという。したがってシルクロードを経てイランから中国へ伝えられたのも紀本の正倉院のガラス碗の中にはこの年代の渡来品があるといわれている。ペルシャのササーン王朝の支配下で隆盛を極めたガラス工芸は、やがて東ローマ帝国の支配下に入り、いわゆるローマンガラスと称して非常⑧ tこ。 に精巧なカット技術と動植物文の図案を彫刻した特殊なガラス器が作られるようになった。(紀元一世紀より五批紀まで)とのガラス工芸の技術はやがてョーロッパに入り、ローマからスペインヘ、フランス、ボヘミアに導入され、技術的にも工ナメル若色、鍍金、レリーフ、カットなど新しい分野の技術が開拓される様になった。日本のガラスはその製作の技術が奈良時代に伝わっており、すでにそのころ各種のガラス器物が作られていたようである。これはその時代の比土品によって知られるのであるが、ガラス皿、カットグラスの碗などこれは地中海エジプト産のガラス器具であって、おそらくそのころすでに外国から伝来されたもの、といわれている。これは天皇陵出土、神社遺跡出土などによって知られているところだが、エジ。フト、ペルシャのガラス器がすでにこの時代の貿易網によって東方中国から日本へ渡来したものと想像される。シルクロードを経て中国へ伝えられたガラス製法は、中国で消化せられ中国様式の「鉛ガラス」という様式が考案され、これはペルシャよりローマ、ス。ヘインで作られるカット(切り子)ガラス製品の巧緻な作風とは異り、東洋的な厚味をもつ重厚な作品であった。日本へはこの中国風なガラス器の渡来と、また一方桃山時代のポルトガルとの貿易開始によって、いわゆる南蛮様式のガラス器が入ってき5 手附水注。沖縄のガラス瓶である。民芸趣味の吹竿仕上げのガラス瓶でこの種類のガラス瓶はぶ厚い感じと野趣のあるのが特徴といえる。倉敷や京都にも小規模の工場で,手造りのガラス器を製作している人達があるが,仕上の美しくない中に民芸調の面白さをみることが出来る。(アリアム,タメトモユリ),'’/

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る