テキスト1975
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0メ、—、ター゜へを見た時急にその国ちょうど富士山の五合10分、ある民芸店の店さきにかかった原色のサラ—にとりつかれてしまった。私は、ひとり一月十五日東京から出発して十日間のメキシコヘの旅が始まった。サンフランシスコを観光して十八日9時45分発、メキシコシティ16時あこがれのメキシコシティに到若した。この町は大火山の大きな火口原湖につくられた都市で、巨大なビラミッドが存在していたのを、スペインが征服したとき、その地帯に大都市を建設したとのことである。このメキシコシティは標高ニニ0目ぐらいともいわれている。空港からホテルまで約20分ぐらいだったが、車がストッ。フすると、インディオの少年たちがバラや。ハンディの花束を持ってきて、「買って、買って」と呼びかけてくるのにはおどろいた。ホテルのロビーには、赤、黄、みどり、ビンクと強い色彩のペー。ハーフラワの大輪が美しく飾られ、目をみはるような異国情緒に感動し、はるかなる旅情に興布するのであった。メキシコの第二日は午前中市内を観光した。町を行く人々をながめていると人種もいり交っており、単一石田由利子民族の日本では考えられない特殊な情景をうけるのであった。メキシコはそのはず、征服してきたス。ヘイン人種がインディオと混血したものといわれ、現代のメキシコは混血系60彩、インディオ30形、白人9%、黒独特で、日本の田舎のおばさんを見るような感じで、やまたか帽子を必ずかぶりイヤリングをつけて、ギャザースカートを三、四枚かさねたものをはき、肩には風呂敷のようなあざやかな織物の布をしよって歩いている。スペイン系のメキシコ人は、とてもほりが深くて美しい。民族色が町角にまであふれていた。年ごとにモダンなビルやハイウェーが建っているとはいえ、どこへ行っても公園や噴水があり、インディオの風俗に触れることができた。アカ。フルコの空港からホテルまでの道は、クロトンの街路樹で赤緑黄のミックスした葉色の美しさに驚いた。クロトンといえば、おけいこのとき三、四枚使うぐらいなので、かたまって生えている植木の街路樹は、やはり南国のムードが蹂っていた。濃いビンクのかわいい花をつけたちょっと見ると野いばらのようなブーゲンビリア。白、オレンジ、黄のハイビスカスと色々の花が咲きみだれて、夢の国へ来たような錯覚をおほえた。。フリンセスアカ。フルコホテルはすばらしく、ロビーも開放的で戸がなく外からそのまま、ホテル人1形らしい。インディオの服装はナこ。の真中は空洞でヤシの木が生えられていて、ホテルの内も外もプーゲンビリアのかわいい赤紫の花が咲き誇っていた。ひとり部屋に座っていると、バルコニーの下から、すばらしいセレナーデが聞こえてきそうなふんいきで、なんだかロマンチックなドラマの中のヒロインになったようなすばらしい一時を過した。夜、有名な「死のダイビング」の見物に出かけた。十五才ぐらいの少年がタイマツを持って、高いがけから命をかけて、深い海へとびこむのである。メキシコの激しいものに幸福を求める精神。高揚した瞬間の充実感こそ幸福である:....と 、思っているメキシコ人の一面を見たように思う。五日目午前中アカ。フルコの町が一目で見られ、又夜景を見るのには最高といわれているカソリックの教会に行った。沿道にめずらしい花「メルカロ」という紫色の(しその葉のような)花が沢山咲いていた。アカ。フルコは保養地にふさわしく、花、花で美しい。教会には、ブーゲンビリア、ハイビスカス、クロトンその他色々の花が咲きほこり、まるで天国のような情景であった。花は本当に心をうるおし、又やすらげさせてくれるものだと、ここで再度感じ今さらながら花の美しさに、うっとりしフロレリアてみた。インディオのかわいい男の子が店さきにいた。色とりどりの花がデコレーションして売られてい(花屋のこと)によっうつ。た。メキシコは花が豊富でカーネーション一ダースニ百円とのことで、安いのに驚いた。これは私が考えていたメキシコと大分迩っていた。メキシコ人はのんきもので怠け者が多いときいていたが、そうではないらしい。気がむくことには熱中するが、嫌なことは決して日本人のようにやせがまんをしたり、あきらめていやいやでも耐え忍ぶということがないとのことである。がまんすればかなり利益があっても、がまんしないし、がまんできないそうである。がまんしなかったため苦労したとしても後悔しないし、仕事は徹夜をしてもやるし、打算をこえて励むこのようなメキシコ人の気質は、きわめてはっきりしていることを知った。メキシコは原色の国であるが、この原色の鮮やかさのように、貧しくてもその貧しさに萎縮していない。日常生活が貧しさの連続のため暗いペシミズムでおおわれているにせよ、祭やその他ではなやかな日をつくりあげることを知っている。それがメキシコ人のすばらしいところである。オートメーション化した日常を生きていると、どこに人間性があるのか疑問を感じる時がある。そんな時、メキシコ人達の生き方が、メキシコの太陽のように感じられる。索朴さの残っている国は、すばらしい。少しの時間であったが生活のやすらぎを与えてくれたように思気にいったメキシコの旅(アカフ゜}レコの花屋)12

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