テキスト1975
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町でみかけた風景の一角を、いけばな作品に作りかえる、ということは―つの若想である。これは模倣でないし翻案でもない。よほど以前、京都の西郊にある「福王寺」で見かけたある住宅の門と塀、古いイギリス様式の建築に調和させて作られたこの表門は、伝統の落岩きと美術的なふんい気が屈じられ、また深い樹木と調和した風景(京都の街角から)は実に魅力があり、私の心をとらえて離さなかった。その後、この形を原案として花器に作りかえることを考え、コンクリートと瓦を使って写真にあるような花器が出来たのは、それから数年後のことであった。これに花を活けてある展覧会に出品したのだが、渋い形式が花を引き立てることになり、予期以上の結呆をおさめることが出来た。瓦とセメントを使って花器を作った。廃物の瓦には古さびた味わいがあり、破片などが交っているのも面白い。木組みのワクを作りラス張りをして、セメントを塗りながら、瓦を下から上へ段々に精み重ね、その中に目的の形を作って行く。五、六時間で出来上がる簡単な仕事だが、仕上げてから淡い墨色の水をかけ着色する。この写真の花器は作ってから庭へ放置して五年ほど経過している。コンクリートにも瓦にも古さびた味わいがあり、瓦も自然に欠落して古雅な感じを作り出している。写真の門柱の感じと、花器の感覚を比較して見て下さい。ありあわせた花、アリアム、バラ、ポトス、を挿して写真を作ったが、実際はこんな甘い花材でなく、もっと強い感覚の材料で意欲的な作品にせねばならない。これは花器を写真にするために、とりあえず挿した花である。福王寺は鳴滝から嵯峨へ行く道と、梅が畑から高雄へ阿う道との分岐点にある。これはその別荘地帯の中の古い洋風建築の一角から取材したものである。ある風景といけばな専渓10

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