テキスト1975
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京都御所の東通りにそうて、静かな樹林の道がある。丸太町から今出川まで、市内の喧_嘆を離れたような一割だが、同志社の新監先生の旧邸、旧油小路家をはじめもとの堂上華族の邸あと、梨木神社から寺町の名に示すとおり、広小路から今出川鞍馬へかけて軒をつらねた寺院の町である。御所の松並木の土堤をすぎると広小路、梨木神社と御所の間の道はうっそうと樹の葉が空をおおい、落葉がうず高くつもる。だれかが「冥想の道」と名附けたように終日、人影もほとんどなく車も通らない静寂の追である。この寺町通りに面して「慮山寺」がある。皇室に関係の深い寺であり脱光天皇の御陵がある。紫式部の邸跡であることはすでに有名。私は、小学生の頃からこの盤山寺へ通っことが多く、そのころ単線だった寺町の電車道路を梨木神社へ、御所の御門へ、三日にあげず通ったものだった。御所の松林の土堤も私達、腕白の剣戟の道場となり学校から帰ると、長いたもとのきもの、ごわごわした木綿の袴、仕舞の稽古用の扇を腰へ打ちこんで、広小路の野村先生へ仕舞を習いに行く。その道筋の松林が私達小僧どもの剣戟の道場ということになる。有為転変60年、この松林は今もその頃とは殆ど変わらない。戚山寺あたり、梨木神社あたり、今日も静かである。(専)□,

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