テキスト1975
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、合A }: l99 ヽ忍‘/’ 4,‘ヽ4‘ -つ゜最近、籠の花器を使うことが少なくなった。陶磁器がほとんどである。竹器や籠の花器はいたみやすい関係もあって大衆向きしないという点もあるのだが、とにかく竹の花器、籠の花器のある家庭は段々と少なくなるのではないかと息う。初夏のころから秋へかけて籠の花器に淡泊な草花を活けるのは、いかにもすがすがしく季節的にも調和のよいものだが、意外に活けることが少なくなったのは籠の花器が一般的でない(以前はそうではなかったが)という、趣味のうつりかわりにもよるものであろ籠の花器はいたみやすい、ということにもよるのであろうが、風雅という純粋の日本趣味の花器であり、比較的、洋花が調和しないというところにも原因の一部分があると考えられる。籠には日本の自然越味の花がよく調和するし、淡泊滑楚な投入ればな、軽やかな雅趣のもち味が好ましいのだが、それだけに、一般の瓶花技術の練習には、不適当の花器であるということも原因していると思う。壷や水盤のほかに時として、籠の花器にあっさりした花を活けるのもほっとしたやすらぎを感じるものである。この号のテキストに璽花は籠の花器を使っていろいろの花を活けて「籠花器と初夏の花」というところに話題をおいてみた。{` 籠のはな専渓WIi ;ヽり^i 曇胃毎月1回発行あじさい桑原専慶流せきち<編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1975年6月発行No. 144 しヽけばな

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