テキスト1975
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IIシャローム11II隻眼の将軍IIイスラエルの隆吉素子II中束の脱IIの異名をもち、キッシンジャーの中東和平工作の失敗を外電で伝えている最中の3月24日、近東貿易の古崎社長の依頻で、画家の水谷工‘‘、さんから折しも来洛中のイスラエルの要人ダヤン将軍御夫妻が私共夫姉を夕食に招待していけばなを知りたいと、おっしゃって居られますが御うけして頂けないかとの電話が舞いこんだ。として世界中に知られ中東状勢に大きな力をもつ将軍に何故私達が招待されるのかよく解らないまま、その日の予定を急に変更して御巾出をうけることにした。約束の24日6時半、将軍の宿舎であるミヤコホテルについたがいつもとは様子が辿う。下迄出迎えに来られた水谷さんにまで東京から同行の笞祝庁の警部がついて居り7階のエレベーターの出口から将軍の部屋までの間にも私服警官が20人近く警備にあたっている。上に来て気がついたのだが下のロビーにも30人位そのような私服瞥官が居たようだった。のんびり者の私達もこの警戒には、緊張する。軒<隣室でお待ちするうちに将軍御夫妻が廊下に出て来られるや否や、御挨拶もそこそこに私達と将軍御夫妻など一行10人が一かたまりになるようにしてエレベーターにのり、自動車にのって大市のすっぽん料理屋に向った。その間、何時にどこに行くということは一切口に出さないでほしいと路視庁の方からのお達しであり、私達がホテルに来る迄の間に持って来た花材その他の荷物にも変化がなかったか副べておいてほしい等と注意されたが、そう言えば先頃フォード大統領が来日した時、設衛の私服警官がよく一紹にテレビに映って居たが、そのお二人が今回も警備の主任となってダヤン将軍の来日中ずっと同行して啓戒に当って居られたようだった。ホテルのロビーでは、イスラエル系のアメリカ人観光客が数十人出迎えて居り、D々に語で将軍と挨拶をかわして居たが、さすがにその時はイスラエルの国民的英雄らしい鬼将軍の貫禄十分だなと莉悠した。まるで私逹まで政府の要人になったように思えた。7時半煩大市につく。ここにも細い通り一ばいの警官だ。十人程入れる日本間に通される。今夜は将軍一行の買い切りらしい。まずはヘブライ語で乾杯。レ・ハイムという。ここで初めてゆっくり紹介していただく。桑原の三百年の花道の家系には色々と興味があるらしく、特に初代のことなどお話したが、ここ京都には、そんな家系が沢山あり、この大市でも創業三百年になるのだと言ったら、良い所で良いご夫妻とゆっくり話せて幸せだと言われたが、その言葉にはとても誠実な気持ちがこもっていた。グレイの地味なスーツに明かるいネクタイ、片目は例の黒い眼帯の将軍は、五十町、六才位か。色は浅黒く握手した手はやわらかいがしっかりした大きい手、握手しながらゆっくり目を見るが、明かる<キラキラした表梢に宮む目で、時には、イタズラッ子を思わせるような親しみを感じさせられる大きい魅カのある人である。それにひきかえて夫人の方は、洗練されたといえるレディーで、深紅のうす手のブラウスに黒のビロードのロングドレス、(ごきげんよう)とヘブライ黒と紅の配8 ダヤン将軍ごようこそ京都へ夫妻(3月24日夜京都大市にて)

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