テキスト1975
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ヽ、意外にはっきりした—それは索朴をコンクリートで作った造形作品ー|を見ることが出来たが、ことに自分の作品という思いがあるので、各部分の細部まで注意して見つめたので、後方から前方までかなり細部にわたって見ることが出来たし、色の変化さえ夢の中に見ることが出来た。夢なんてそんなはっきりしたものじゃない、と信用しない人もあるだろうが、これは真実ほんと、まことのお話で、それでも信用しない人はこの原稿読まなくてもよろしい、といいたいほどほんとのお話なのである。造形作品—それどころか、この作品の夢物諾には前奏曲がついているのである。それも一紹に発表しておくことにする。はじめあらわれたのが大阪の地下鉄の駅であった。本町あたりの少し閑散とした駅のフォームに私が立っていた。あたりに二、三人の姿が見えるだけで至って静かだった。電車の音もきこえず、その瞬間は高い天井のドームの中に自分ひとりだけぽつんととり残されたような空想の短い時問だったと思う。左の方の暗いトンネルの中から突然、美しい音楽がきこえてきた。はじめ遠くにきこえた行進曲のような音が、段々と近づくにつれて、それヽ\1 は2月2日の夜、この日は朝から茂夢のお話なんてあまり信用できないね、などといわすに、このお話、少し面白いのだから、終りまできいて下さい。夢といってもいろいろある。ご馳走を目の前において目がさめた、などというのは月並みだが、さすが花道家の私、見る夢が違います。あれ山社中の狂言会が京都の観世能楽堂であり、私も忙しい中をとにかく巾訳ていどの狂言を一サ翌おどって帰ってきたのだが、これまで三回ほど出演しただしものなので、気分も軽く踊りながら「これは忙しい狂言だな」などと、思いがけなく声を出したアドリプに三百名程度の各席から、どっと笑い声が起ったほど、楽しいふんい気だった。さてその夜、時間はわからないが、かなりまとまった夢を見ることが出来た。もちろん夢を見ようなどと欲張っても、よい夢などは中々みられるものでないことは皆さんも、ご承知の通りである。しらべてみると、「広辞苑」を専渓tこ。 夢とは、睡眠中にもつ非現実的な錯覚又は幻覚。聴覚、味覚、運動感覚に閲係するものがある、と書いてあり、夢の話はとかく近任のもてないはかないもの、ということになっている。しかしこの夜、私のみた夢はかなり現実的なもので、責任がもてないなどという、そんな頻りないものではない。したがって日頃、いけばなのことばかり考えている桑原先生の見る夢は、さすが迎ったもんだな、といささか自恨する気持もあって厚顔しく筆にした次第である。私は枕もとにいつもメモ用紙と鉛筆を置いて寝ることにしている。夜中に思いついたことを、とにかく記録しておくことにしているのだが、この夜、私の見た夢はことに面白かったのですぐ鉛筆をとって、とにかく走り書きの絵を害いておいたのだが、ここに掲載したのがそのときの「夢の作品図」である。よくまとまった絵なのだが、これは展屁会に出品している状態を、訛かわからないが、「あの側而の凸起部分が少し足りないのでないか」といって指をさして話しかけており、私が「それは側面からはそう見えるが、前方からみるとあの程度でいいのだ」といいながら、前面側面を歩きながら見て廻っている風景であっは石、六名の男性の音楽隊とその後に白いガウンを若て、手に手にろうそくの灯火を持った女性の合唱隊の人達だった。近づくにつれて「ハレルヤ」を唱つ聖歌の隊列であり、ああ美しい景色だなぁと、思ううちにいつしか幻げになった。それで終わりだったのだが、その後時間はわからないが、さきに書いた造形の夢へつづいて行ったらししい夢をみたものと、寝ざめのその翌朝、この夢はしっかり覚えておかなくては、と思いながら夢の中でみた「造形」の絵を、あらためて考え起しながら、描いたのだった。、。' 楽、\し{‘、T-ヽ\、グガ.5/ 夢のお話•■ ・ 私の見た夢の中の造形作品I -=--\ 12 ••••

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