テキスト1975
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臼、, 9ふご,-;::.~,~ If• , " 』.曹., ・r/-,;い,.、'舅い昔の旧街道にそうて故新浜氏の記念碑があった。悔岸沿いのニメーターばかりの小道に、一方の丘から浜へ落ち込もうとするそんな辺郷な場所にすすきや雑草の中にこの記念碑があった。記念碑を礼拝して写真にとったのだが、この新浜氏は桑原門下の中でもことに名手であったらしく、家元に次ぐ技術者であったと伝えられている。また、代より伝盃聞いているところで、はじめて見る句碑であった。「紹かれて花みむことのあらうれし」とあり、法名が記されている。明治30年に建てられた碑である。(写真は記念碑と宮田耕作氏)その夜は鳴門海峡の究端にある大毛島へ渡り、嗚門公園の水野という宿に泊った。心念の下に潮流が白い波涛をたてて流れており、写真にあるように難波船が賠礁に屎り上げて半ば沈んでいたのも、珍しい風景だった。大毛島侮岸のわかめを干す景色を車塞心に見ながら小鳴門の栢を渡りふたたび咀門巾へ。私は鳴門への往路に嵩徳本線の小駅「池の谷」に降りそこからタクシーに乗って、大谷焼の陶器の町を見学した。五、六軒ある窯元をあわただしく見て廻ったが、このごろ珍しい大鉢、花器の類を見てことに参考になっ帰途は鳴門より淡路闊へ渡った。のどかな船の旅だったが、福良からは洲本、北端の岩屋まで数時問の自動車の旅だった。灘(なだ)の水仙郷を見るのが目的だったが期待するほどのこともなく、観光地の俗っぽさを見る思いだけがのこっている。日をあらためて淡路の園芸の本場を見て廻りたいものと思っている。この記念碑の存在することは私(専渓)が先④ ⑤ ●' ー灘一、~''·:t!t~ 公<>--:-三そヽ•.、,,~I、:tf//~':-, . ll 、\'.i亙1;~、警lA I'\ , I、ダ'J.,, ;.-.~ ,9 .、.1.・/;#i;'l_..、I\^,",; , .. /、,,j れヽ✓ ヱ-令,な,r~·~.い、々が;I ` ,・ <-1'.. ,t,.t鵞.• ,,, "; 嘉拿伶f,\ぷ、点叱., ., 令ゞ*,l、ふ囀'(.., • _;_·.-,~ ベ”11 ;~'、,.r'}、,''!I(<✓:/'~•I , I ,; ヽ,鼻,/'"ヽ/~/ , ナこ。• .、J , ヽ' 、賢、l.. -/ :/';,_・・.,,,-? 和)、i:,,, ・ぶク, 令. \. I I ••• I -~ ら,·~1

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