テキスト1975
141/147

溶特象~泰ふをしています。「真、行、草」という言葉がありますが、標準的な技巧の優れたものを「真」といい、或は少し柔らかく「行」という言葉を以って示します。さらに「雅趣」「幽玄」の心ばえを「草」と呼んで、作者の創作に進路をあたえております。これは「みずぎわ」などの小部分の考え方ではなくて、一瓶の生花の全体を通じて、その心ばえを考えねばならぬものと、されています。これは全く東洋芸術のすべてに渉って存在する特徴でもあるのです。う考え方は、こんなところからも感じられるわけです。型とか形式という考え方、或は教え方、示し方はそれ自体が、習う人達を最も早く最も生花は「型もの」ではない、といよき理解を得させるための基範を示しているもので、いわば最高へすすむためへの道すじを教えているもの、といえます。「道標」とでもいいますか、一見、窮屈にみえる教義と約束を強いることは、最高の自由へすすむためへの鍛練の時代、練成時代の教授課程であるわけです。生花を習う人はこの迅程のむずかしさに参ってしまうわけです。それを突き破って最高の位置に定若する人は、そのうちの極めて少ない人達だといえます。生花に限らず「茶道」でもその他、日本の伝統芸術はほとんど同じ考え方であるわけですが、「茶逆」などの複雑な手前の形式を料うことは、全くその道程に終始していると考えられます。すべて「最高の真実」を得るためへの練成時代といえるわけです。生花を習う人達は一週に一瓶活ける程度が普通になっています。練習時代ですから一応それでよいわけですが、実際これでは「生花とはこんなものか」という程度しか理解出来ません。したがって数年にわたって勉強することになるのですが、その真実をつくためには、恐らく10年20年の蓄積を要することになります。5 かんざくらダリア生花の中に草の花形(真行草の意)があり、その草の花形の中に(真流し)(内副流し)(副流し)(胴流し)(留流し)の五つの定った花形があります。このカンザクラ・ダリアの生花は副流しの形です。副を長く作りダリアの留を短かく作って、左右のバランスをとる。

元のページ  ../index.html#141

このブックを見る