テキスト1975
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E§~霧會`` 今月号テキストには岩田藤七氏のガラス花器九点に花を活け写真を作った。岩田藤七のガラス器は外国のガラス器にない独特の個性があって、東洋的な感覚と日本の陶器に見るような豊かな色彩がある。岩田藤七氏はその著「岩田藤七作品集」の中に「私はもっと古い原始的な、日本に昔からあったガラスをやろうとしたんです。外来のものは単色、こっちは多彩なんだ。大衆化するのにいい色のあるガラス、汚い味のあるガラら、私の考えは、日本にほんとうにあった古代のガラスを復活させることだったんです。」と、記されているように、日本独特ざした創作だった。は異なった個性の中に、ガラスでもなければ陶器でもない、そんな作品スの方が日本の風土にむいているんですよ。私が初期に作った鉢や食器のようなものは、いわゆるトンボ玉の形式をとったものなんです。だかのガラスの美術を作り出すことをめ外国のカットガラスや色ガラスとが岩田ガラスの個性ともいえるのだが、重厚なもち味は花器としても、最も好ましいガラス器といえる。「詩を作るつもりでガラス器を作る」とものべられているが、光と色彩との渾然とした形の中に、新しいガラスの芸術が感じられるのである。岩田氏は大正七年、東京美術学校金工科を経て洋画科を卒業、そのころ金魚鉢や氷水のガラスコの生活用具程度しか作られていなかったガラス器を、芸術的な作品として創作し、絵画や彫刻のレペルまで持ち上げた人なのだが、日本で成長し日本のガラス工芸を作りあげた人である。日本の陶器と日本のガラス器は同じ性格のものであって、陶器の上ぐすりとガラスは同じだ、という岩田氏の主張が示しているように、岩田氏の作品にはガラス器の常識をはなれて、陶器のような、またガラス器でもない独自の感覚があッ。フなどる。したがって豊かな色調の中に東洋的な落着きが感じられる。外国のカットガラスと比較してみると、全く対照的で面白い。そしてm 花器c 「工芸と文学は二足のわらじをはかなきゃだめだ」「芸術性の高い作品と大衆的でなきゃだめだ」とする岩田氏の考え方は、工芸家として当然だが、ちょうど「いけばな」的作品を望まれる一方に、大衆的ないけばなであらねばならぬ点が、よく似ていると思うのである。(岩田藤七作品集)に記録されている年譜をみると「幼稚園を(日彰、京都)ですごし、岩田呉服店京都支店(両替町室町御池上ル)から通う」と記されている。この岩田呉服店は現在、烏丸通御池下ルにある8階建の(帯の岩田)で有名な岩田尚店である。藤七氏の縁戚にあたり、社長は岩田源一郎氏。桑原専艇流のいけばなを趣味として教授される岩田慶寿氏はこの岩田氏の一族である。さて、岩田籐七氏の作品は色彩が皿芸かである。このテキストに掲載した九作はいずれも美しい色彩ガラスの花器だが、それに調和する花を活け、なるべくガラス器の引き立つような花材を選び、花器と花との配色を考えたのだが、単色写真ではその色彩効果が出ない。複雑な色ガラスには単純な花の色を、日本梢結に作られたガラス器にはそれにふさわしい花を入れるようにしたが、いちばん必妥な色の調子がわからない、ということを残念に息う。が芸術`3, ; ,,,_, ' O'.t ヒマワリ紫紅色ガラス器(岩田藤七作)カラジューム•' .

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