テキスト1974
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... る私の二十五、六オのころ、その頃の盛花瓶花は写実的な感じの作品が全盛時代で、自然の風景を盛花風に作る形式や、瓶花の方も文人風の趣味を多くとり入れて、いずれも日本的な風雅を主潮においた、そんな感じのものが一般的で、それがその頃の新しいいけばな界の主流であった。したがって材料の方もの木の葉や実もの、栽培の草花などすべてうおいのある、いわゆるなまの草木花葉を使うこと、それがいけばなの常識となっていた。これは当然のことで今日でも同じ考え方が通用するのだが、その後(戦後の20年代)一般の人達の思想も急激に変わり、日本の美術界の大きな革新の時代を迎えたことは人々の知るところである。四十数年前、それが私の二十五、六才ごろにあたるのだが、若い年代の私が自然描写の温和ないけばなや、伝統の形式的ないけばなについて、て、新しい野心的な作品を作りたい、なにか革新的な分野につっ込んで行きたい、という欲望があって、結局はこれまでの温和ないけばなとは別に創作的な造形的な作品、つまり植物材料以外の形あるものを組み合せて、装飾効果のあるいわゆる「造形作品」を作り出すことだ、と気づいたのであった。ここで最も必要なのはその作品の素材となる形あるもの、とはどんなものであるか、ということだった。目をひらいてみると、それ素材としての枯れものなにかあきたらない気持もあっまでいけばな材料に使っていた木もの花もの葉ものの他に、「枯れた植物の材料」というのもその―つであることに気づいた。今日では枯れた草木の材料をいけばなに使うことは珍しいことではなく、極めて一般的なこととなっているのだが、その頃は変なものを使う人だな、と思われるほど全く変な行き方であったに違いない。花道諸流の中で桑原の行き方について異端者の様に思われたのも無理のないことであっカスタネットの枯実た。それほど枯れものなどを使わない時代であった。その後、コンクリートや、鉄、布地の類まで、あらゆる形あるものを索材として、「花道家の作る造形作品」を目ざすことになったのだが、これは昭和のいけばなの一種の流行といえるほど、華道界の大衆運動にまで広がっていった。さて、枯れものの材料について書き出したのだが、この号の作品は、草木の枯れた材料トウウチソウになまの材料をつけて、「枯れ」そのものの特殊な色調感覚となまばなとの調和について、ことにその中から褐色のもつ新鮮な色感について注意して欲しいと考えたのである。枯れものの褐色をどんなに使うかについて、注意したいものである。八月は花の少ない季節である。最近はま夏でもいろいろ花が多いが、こんな季節に枯れた材料を使って趣味の花を活けるのもまた楽しいことである。(専渓).. 山. R ••••

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