テキスト1974
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アジサイの豊かに咲く花も美しいが、花季もすでに過ぎて残りの花が、枯花に交じっている姿も美しいものである。渓流に添うた道筋にわびしい村がある。この辺は貧しそうな農家が立ちならんでいるのだが、川べりのわずかな土地にいろいろな秋の草花が植えられている。百日草、けいとう、しおんの残り花、雑種のダリアがわびしく咲いており、その近くにアジサイの大きい株がひと株。緑の葉が十一月の半ばをすぎた今日、早い霜に打たれたのであろうか褐色に葉が紅葉して、それでも夏の枯花にまじって、大きい返り花を咲かせている。一本、ニ本葉の茂みの中にひっそり咲いている淡紫の花。その中から一本切りとってみると、淡褐色の枯花とそれに活々とした返り花のアジサイの大きくまるい花がついている。十二月に近いというのに思いがけなくも夏の花のみずみずしい姿をみた私は、心もときめく思いだったが、上の葉は少し紅葉しているのに、その紅葉の下葉はちょうど上の紅葉の丸い葉の形を描いたように、色を変えて、紅葉と緑の葉を染めわけている。まことに自然の描いた図案であるアジサイの花はこんなに時期を永く咲きっづける花であって、咲いた花も美しいが、枯れた花が淡い褐色となって、丸い花そのままの花がらを残しているのも風雅である。四弁の花びらの形もくずれずそのまま枯れているのだが、手にとってみて「田の字の花」という古人の言葉を思い出して、今さらおかしくほほえむのだった。アジサイは七たび色を変えるので「あなたは蔀情」という花言葉があるのだが、私は晩秋にもなお花を咲かせるアジサイを涸情な花とは思えないのである。(専)c蒲(がま)は山野の池沼に野生する水草である。写真のガマは普通の品種だが、別にヒメガマといって細い茎の品穂がある。これも野生種で私の見たのは池賀県の安曇川が琵琶湖へ注ぎこもうとする、その三角洲に、このヒメガマの群落があってミゾハギの赤紫の花とともに背たけをおおいかくすほど生い茂っていたのを見たことがある。太いガマは宇治の木幡山の小川にコウボネなどと共に野生していたのを見たが、いずれにしても山野の水辺にかたまって出生するものである。この盛花はガマ、黄花のシラボシヵュウ、白キキョウを少し添えて夏らしいすがすがしい感じの花であc がまききょうる。褐色のガマの実、カユウの淡黄色、キキョウの白が緑の葉の中に見えて、清爽な情緒のある盛花といえよう。北口、この蒲の実をほぐして綿のようにして蒲団(ふとん)に用いたので、これから湘の穂のかたまり、即ち蒲団という字が出来たといわれる。カラー(黄)Q啜,

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