テキスト1974
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熊谷草の大きさまむしぐさ000メーターの山上の盆地に、九度山町から高野へ行きついたのは午前11時半であった。一般に高野山というのは真言宗の金剛峰寺を中心とする山上の寺院、またそれをとりまく門前町をひっくるめての総称だと思うのだが、約一壮大な寺院健築が立ちならんでいるのをみると、その雄大な景観に證くのみである。高野町は人口七000、高野山大学をはじめあらゆる文化施設が賂備されており、また洋裁店から喫茶店まで近代都市の体裁をととのえている。江戸初期の建立と伝えられる「大門」の壮罷さに感動しながら、日下部氏の紹介によって陶芸家目黒威徳氏のお宅に葬く。目黒氏は京都で修業された陶芸家で、高野へ戻って「南山窯」という陶窯を作って、特異な風格のある優れた作品を作って、風雅を友とする自適の風流生活を送っておられる人だが、今日はこの南山窯を出発点として奥山へ入って行く予定なのである。き食事)をすませて、いよいよ山に入る。車で約三キロ、山と渓谷の狭い山路をいく曲りして進むのだが、一方の渓谷は見はるかす深い谷の、実に危険な道だった。これ以上は車が行けないというところで屯を降り従歩ということになった。この辺は「湯川」といい、杉林の老木が亭々として実に静寂、この辺りから植物探査の本番ということになった。附近の遍照尊院で正午の斉(とフタリシズカ、ハナイカダ、山ギボウシの葉、ショウジョウバカマ、ナルコユリ、ヤマアジサイなどが草の中に群がって見える。目的の熊谷草は中々みつからない。さすがの日下部氏も申訳なさそうな状態だったが、とにかく見つからないのは努力がたりないのだ、ということになって、その後一時間ほども附近のたけなす叢の中を樹木にぶらさがりながら、山に登り谷に降りさがし廻った。漸くにして、熊谷草の花を見つけ出した。この写真にあるように枯葉や草の葉の堆秋する中にぼつりぼつりと出生している熊谷草をみつけ出したときは、思わず四人が歓声をあげたものだった。自然植物というものは、土地と環境の関係もあって一本を発見するとその附近には群落して同種の花が自生する性格をもっているものだが、この熊谷草を見つけ出すとその附近にはそれこそいちめん、数しれぬほど群生しているのであった。それまではギボウシの葉かと思ったのも、ことごとく熊谷草で、仝<驚きの言葉が出るほど、集団的に咲いているのを見つけ出すことが出来た。マムシグサ、ハナイカダなどもところどころに見つけることが出来たが、写真にあるヤマシャクヤクは目黒氏の茶府に活けてあるのを写したもので、下手な写真で申訳ないが、とりあえず戻考のために掲載した。,‘、.―---ヤマシャクヤク11

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