テキスト1974
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花器だけみていると、医案が気になって活けにくそうだな、と思うのだが、活けてみると花うつりがよいのは意外である。私の家の花器棚にかなりの数の藍絵の花瓶が並べてあるのだが、研究会などの場合、これをとって活ける人が案外少ない。活けにくそうだな、と思つのは一般的な花器でないのかも知れないが、たべず撒いとでもいうのか、手を出す人が少ない。このテキストの16作をみても、花器の図案を利用して花を活けると、花と花器との結びつきについて、普通の花器とは別の興味があって楽しいものである。絵のある花瓶は、文様のあまり複雑なものよりも圏案や絵が淡泊に描かれていて、下地の白い部分の多いほど、花との調和がよい。あまりまとまった写実訓よりも図案様式の軽やかな方が、花との調子もよく、花と器の二つとも引き立つことになる。絵のある陶器磁器は画かれた絵に生命があるのであって、陶芸家の中でも絵のよく出来る人、図案について新鮮な感覚をもつ作家でないと、よい作品が作れないものである。また、この花浩を使いこなす花道家の方も、花界と化との配合、花器を使いこなす力紐というものが特に必成となってくる。c cこの陶器は新しい図案の器だが、硬質陶器に新しそうな絵付をしたもので、薄手のモダン様式のあまりよいものではない。図案が変わっているので参考例として花を活けて写頁にした。ビンクの濃淡のカーネーション6本、ナルコユリの葉5本をとり合せて軽やかな小品花を作ったが、洋室のサイドテープルや居間のテレビの上へでも飾る簡単な花である。手軽に活けられる小品盛花。カーネーション(小品花)ナルコユリ陶器は陶土で作られるのでその作品のほとんどが不透明であるのに比較して、磁器は材質の性格から半透明ながら光を通すやきものである。ことに磁器は高湿度(-三00度乃至一三五0度)で作られるやきものである関係上、硬質であり熱に強く、また薄手のやきものを作り得る性烈をもっている。日用器具の食器に磁器が適しているのもこの理由によるものである。淡い光を通す薄手のやきものである磁器は、総じて清楚な感じであり、ガラス器に恙じるような軽快さと芯明慇がある。藍絵の花瓶をみるとなんとなく清冽な感じをうけるのもその迎由によるのだろうが、藍絵(染付け)の花瓶は反李に使うものという概念が背からあって、青磁の花瓶や藍絵の花瓶は冬季には使えないというしきたりが一般に考えられるようになった。したがって、藍絵の花瓶の絵も夏の花が描かれているものが多く、てっせんの図、朝頻、あざみ、すすき、けいとうなどの様に夏季の図案が多い。花器の図案が夏の花である以上はいよいよ冬や秤に用いにくくなるのは当然だが、これは藍絵が夏の花器という概念にとらわれすぎた陶芸家の伝統の考え方によるものであろう。ガラス器は夏の花器という考え方と同じことである。.... .... ,

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