テキスト1974
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R淡いクリーム色のバラ2本、ビンク1本、葉がしっかりして濃い緑色である。カキツバタの黄みどりの葉を添えて瓶花にした。カキツバタは菜だけである。花器はまっ白の磁器に藍色の濃淡で描いた線条図案。これは樹木の幹を図案化したものだろう。さっばりしてすがすがしい感じの花器である。藍絵の花器は夏季に多く使われるのは、さっぱりとした感じが季節向きに調和するためだろう。cこれは古風な染めつけ(藍絵の花瓶を染めつけという)の水盤。こんな足の形を猫足(ねこあし)という。これは明治以前の磁器なので、形も古く絵付けの状態も写実画の古い様式である。こんな花器には生花を活けるか、盛花でも落呼きのある花材を活けるとよく調和する。ぼたん、かきつばた、菊などよい調和である。写真の花は、濃い紫色のアイリス、白花のサッキバイを分体花型に活けた。c 花器は花を活ける容器であるというのが常識だが、さて、いけばなということになると、花器は単なる容器ではなくて、花と花器との結びつきによって芸術を作り出す重要な役割をもつことになる。どの花器でもそうだが、ことに絵のある花瓶はそれ自体がすでに装飾性を多分に持っているので、その花器にさらに花を入れて装飾を重ねることになり、時として重くるしさを感じることにもなりやすい。派手な色彩画のかけ軸の前に色彩の多い花を飾るように、それが賑やかに過ぎるといった感じを受けることがある。したがって、絵のある花瓶には原則として、花は淡白なものが好ましく、花瓶を引立てることにもなり、また花を引立てることにもなる。そんな配駆を必要とする絵付けの花瓶は、花器としてむずかしい花器だと息われるのも当然である。それに陶芸作家の好みによって自由な絵付けをしているのであるから、すでに出来上がった陶器を選訳する私逹の立塩からは、出来るだけ花に涸和し得る絵付けの好ましい花器を使うことである。ことに、陶芸家の中には低俗な趣味の作家もあり、絵の拙い人もあり、とれらの作品を使う私達はその花胚を厳逝する様な気持ちを以って、使う使わないをきめる様な態度をもちたいと思うのである。私はいつも陶器を見る場合に、求めるものの立場として常にその俊れたもの、拙しいものに対してきびしい批判の目を向ける。ことに絵付けのある花器に対しては一肘、注意を深くしたいと思うのである。絵のある花瓶は、陶器の造型焼成の技術の上に、さらに絵や固案の技術が加わるのであるから、陶器作家の忍思が充謁してあり、それが新鮮な感覚のものであるか、また絵の技術の優劣について私逹に批判をうながすことになる。花のためによく選択したいものである。5 磁器の花瓶三つ

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