テキスト1974
33/147

c梅、ラッパスイセンニ種の瓶花である。花器は黒褐色の掏器で長方形の花器である。盛花というよりも瓶花といった方が適当な花形であるが、この範囲になると瓶花盛花のいずれの呼び名を使ってもよい。それほど花形も配合も似通っているからである。もちろん剣山を使って留めてあり、その点は盛花ともいえることになる。さて、白い梅は野生の品種の野梅(やばい)で、自然のままの鋭い枝先や柚にはり出した小枝が勢いよくのびて、いかにも梅らしい個性を見せている。梅のいけばなは生花に活けても盛花に活けても、その個性にある雄俊な枝振りと、するどい慇じのあるように活けることが大切で、ラッパスイセン瓶花c梅②田山桜や桃はやさしく柔軟な感じの花形が、そのものを一庖ひきたてるととになる。この写真にみるように梅の枝が相互につきあい交叉するようなのが、梅らしい慇じを出すことになる。そんな点に注意して活けた花である。ラッパスイセンの淡黄と緑の葉がやさしく春の色を添えている。瓶花や盛花は花形に変化のあるほどよい作品といえる。花材の配合も色彩の配置配合にも作者が一作ごとに自分の考えのもとに、新しい工夫をすることが望ましいし、創作的な考案が常に作品の中にあることが必要である。練皆のための基本花形は別として、材料のもつ自然の個性を活かして、のびのびとした花を作ることが大切、ということである。心の中にある定った形や‘―つのワクの中にはめようとする態度は、よい瓶花や盛花を作ることが出来ない。常に新鮮、常に創作する考え方が必要である。これに比校すると、生花(せいか)の場合はその考え方が根本的に違うというととに注意せねばならぬ。その主な点を杏く。位花は奴然とした理想を某とし、それによって一定の端正な花形を作り上げる。変化のある花形よりも―つの花形でもよいから、優秀な技術で完仝な作品を作りあげること。―つの花形といっても、四季によって材料が変ってゆく。くの花材を一にの花形に作りあげることさえ、随分むずかしいことである。冬から春へかけての花木の類、晩春から夏へかけての草花、水草の類、初秋から初冬へかけてその多③も変化のある秋草、紅葉、実ものの姿など、おびただしい変化があり、四季にうつり変る多くの花材を、生花としてたとえ―つの花形におさめることさえ、大変な努力がいるわけである。ちろん、木の材料も草花も同じ扱い方でよいというのではない。例えば、ここに掲載した④のコオリヤナギと、cのチューリッ。フはほとんど同じ花形であり(左勝手と右勝手の違いはあっても)草花と木ものの芹異はあっても、同じ花形に作りあげるには、各個それぞれの工夫がある。要は典型的な―つのよき花形を理想として、完全な生花を活けることが出来たなれば、生花として充分の役割を果すことになる。生花にも変った花器に活ける花形、また真行草の花形の変化がある。いろいろ変化のある活け方があるが、その真実のところは変った趣味の生花よりも、普通の代表的な花形でよいから、技術のはっきりとした品格のある生花が望ましい。奇をねらうことは品位をさけることになり、生花を俗悪にする原囚ともなる。生花はあくまで端然として儀雅であることが望ましい。5 c

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る